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Facebook中毒から解放されて良かった

※あくまで個人の意見です。

Metaから営業妨害だと訴えられるほどの社会的影響力はないけれど、万が一そんなことがあったら困るので、「あくまで個人の意見です」とエクスキューズしておく。ただ、いずれにしても、覚醒剤みたいに中毒性の高いものは、それから脱出した個人が何を書こうが、営業妨害など不可能なのだが。

3カ月ほど前、詳しい操作や経緯はよくわからないのだが、Facebookのアカウントが乗っ取られてしまったのだった。まったく知らない人から、友達リクエストが承認されたという通知があり、慌てて登録解除したタイミングで、Facebook事務局から「アカウントが乗っ取られたので停止した。解除したければ、身分証明書を提出せよ」という旨のメッセージがあったのである。さっそく従ったのは言うまでもない。

誰かに迷惑をかける前に緊急停止してくれた事務局(おそらくAI)の判断には感謝している。ただ残念なことに、私は本名で登録していなかったので、身分証明書の再提示を求められた。通称の身分証明書など持っていないので、これは天から与えられた機会だと思い、アカウント停止の解除をあきらめることにした。

何らかの方法で連絡を取れる友達には、アカウントが解除されたことを連絡し、共通の友達が多い方には拡散をお願いした。こうして私はFacebookから足を洗ったのだった。

「天から与えられた機会」と思ったのは、Facebookの広告ポリシーに不満があったからだ。細かいことは割愛しよう。Facebookユーザーなら、多少なりともわかってもらえるのではなかろうか。

やめた当初は、少しさみしかった。というのは、何か思ったことがあったら、Facebookに書き込むのが、私の習慣だったからだ。

とにかく思いついたら書く。写真を撮ったら載せる。甚だしい日は、5千文字以上も書く。それも珍しいことではなかったのである。依存症と言っていい。

幸いなことに禁断症状というほどの苦しみではなかったのだが、しばらくの間は、1日に何度もFacebookを開こうとしては、アカウントを削除されたことを思い出し、少しさみしくなるということを繰り返していた。

当然スマホのアプリはアンインストールしているのだが、何となく以前アイコンがあったところを探すのである。そこにアイコンがないことで、アカウントがないことを思い出すわけだ。

ようやく1カ月ぐらいでそれもなくなった。依存症から抜けたのである。

すると、本当に、何で今までFacebookなんかにあんなに時間を使っていたのだろうと思えてきた。そして晴々した気分になった。さらに、何でもっと早くやめなかったのだろうと思うようになった。

あいかわらずXやInstagramは使っているのだが、Facebookのような依存症感覚は、私にはない。仲間受けの気持ちよさがないからだろうと思う。

とは言うものの、いまだにFacebookに書き込みたくなることが、ときどきある。これは覚醒剤のフラッシュバックのようなものなのだろう。覚醒剤と違うのは、事務局がアカウントを復活しない限りは書き込めないということで、これは本当にありがたい。


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