「人生とは何か」を考える人に向けた小説が来そうな気がする
私とて炎上みたいなことは怖いというより面倒なので(そもそも炎上するほどのビュー数はないのだが、何かの間違いでバズるのはよくあることだ)、まずはエクスキューズしておくと、私は小説に貴賤はないと考えている。
私が志すのはいわゆる純文学ではあるが、純文学至上主義ではない。小説家の技量という意味ではエンターテインメント系のほうが上だと思うし、いまどきラノベを下に見るなど時代遅れも甚だしいと思う。逆に、私に向いているというか、書けるのは純文学だけと思っているだけだ。
ジャンルに関係なく、また良い悪いもなく、自分に向いている小説とそうでない小説があるだけだと思うのだ。
もちろん売れる小説と売れない小説というのはあるのだが、売れないから悪いとは思わない。
私は自分が好きな小説でも映画でもドラマでも、誰かが批判しているととても嫌な気持ちになる。だから仮にたった1人しか読者がいない小説があったとしてもそれを批判する気にはならない。その読者がその作品を気にいっているかもしれないからだ。
人が気に入っているものを批判するのは、その人を全否定することに近いのだと、批判が大好きな人は心得てほしいなあと思う。悪いことをした人を批判するのとはまるで違うのだ。
だからどんな小説でも自分が好きか嫌いかは言うこともあるけれど、良い悪いは絶対に言わないことにしている。
何でこんなエクスキューズをしているかと言えば、”「人生とは何か」を考える人に向けた小説”など書くと、私がその類いの小説を高尚なものと考えていると勘違いする人が出てくると思ったからである。
そうではない。これと対極なものを考えると、たとえば「異世界もの」みたいな現実逃避系の小説を思い浮かべる人もいるだろう。私はそのような小説を卑小なものとは思わない。だって好きな人がたくさんいるからだ。
そもそも現実逃避を悪いことと私は思っていない。私も現実逃避が好きだ。ただ私は現実逃避をしたいときにはお酒を飲むことにしている。小説よりもお酒のほうが圧倒的に現実逃避には向いている。
話が変な方向にそれてきた。
世の中、昔に比べてずいぶん便利になったと思いつつも、あまり明るい未来が描けない人が増えているように思う。私もそうで、この先ユートピアとディストピアのどちらが来るかと聞かれたら、ディストピアが来るほうが何となくリアリティを感じると答えてしまう。
年々その傾向が強まっているような気がしていて、正直、現実逃避がずっとできればいいなと思ったりもするのだが、それだけではいけないという気持ちも湧いてきたりする。
私でさえそうなのだから、世の中が良くならなくても、せっかく生まれてきたのだから、別に成功者にならなくてもいいけど、せめて自分の人生に意義を感じたいと思う人は増えているのではないだろうか。
そういう人向けの小説がこれから読まれるのではないか、だったら書こう、みたいなことを考えただけなのである。
議論の流れがぐちゃぐちゃな気もするが、勢いを大事にしたいので、書き留めて置いた。