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「喜劇」が好きってことを語るだけ

 こんにちはこんばんは。霧崎奏也です。
 最初の記事なので何を書くかしばらくずっと悩んでいましたが、いや未だに悩んでますがとりあえず書くことを優先しようと思ってるので気軽に書きます。
 まぁかる~く見ていってください。

 さてさて今回は星野源さんの新曲「喜劇」を語ります。
 皆さんは聞いたことがあるでしょうか。アニメ「スパイファミリー」のエンディングテーマになってる曲ですね。かなり話題になってるようなので知ってる方も多いと思います。
 私は、アニメ見てなくてですね、Spotifyで星野源さんをフォローしていて聞きました。もしまだ聞いたことがない方がいればぜひ聞いてから、もしくは聞きながら読んでくれると嬉しいです。

 初めて聞いたときの感想は、「笑える」でした。
 星野源さんの曲で多いのように感じるのですが歌詞自体は暗めのことを語ってるんですよね。でも曲調と星野さんの歌声で前向きな曲になる。他にないアーティストだと僕は思います。

 「喜劇」もそういう感じかなと思いました。
 「争い合って壊れかかった このお茶目な星で 生まれた落ちた日からよそ者」
 なんて素敵な出だしか。争い壊れかかっているのもお茶目さで、人類みんなよそ者という表現。この出だしだけで心掴まれますわ。人の醜さとか悪いところがよく見えてしまう現代の社会にのまれまくってる僕には心救われる言葉の数々です。
 どんなに自己嫌悪しても、どんなに他人を嫌っても人はみんなよそ者で、よそ者同士でぶつかって、争って、傷つける。そんな世界。でもよそ者同士で手を取り合うことも、助け合うことも、愛し合うこともできるのかなと思います。
 世の中、嫌なことがとっても見やすい世界になったと思います。便利になって、人と人が会いづらい情勢で、それでも世界は進んでいく。それに対応していくのが人間ですが、それで人の大切なモノってけっこう落としてきてる気が僕はしてるんです。

 例えば、笑うこと。文章やTwitterで笑うことって多い気がします。「www」とか(笑)とか。それが悪いことでは全然ないと思うし僕もします。でもそれを打ち込みながら、顔が全く笑ってないときがあります。それってほんとに笑ってるってことなのかなと疑問に思います。
 ようは楽しくないのに笑うようになったのかなと思います。雰囲気を壊さないように笑う。みんなが笑ってるから笑う。そんな感じで笑いの安売りというか、そういうのが起きてるのかな?
 なんだかそれって怖いなと思うんですわ。ディストピア感がするというか、みんな笑ってるから笑うよねみたいな強迫観念。まぁ僕もまったくないわけじゃないですよ。上司から話しかけられて話すときはとっても笑顔ですし、後ろ向いた瞬間真顔になるし。

 じゃあ、そんな中で本当に笑う時ってなんだろうと考えると、やっぱ好きなことをしてる時や、好きな人のことを考えるときだと思うんですよね。僕は絶賛一人暮らし中ですが、家に帰ったら好きな人がいるってすごっく憧れます。(よく妄想しますわ)
 自分の好きな人が家で待っててくれる、来てくれる。そして同じ家で食事をし、寝る。そんな日々がなんて素敵なことか。ドラマチック性など全く無くていい。そもそも人生がドラマチック性がないことの方がないのだから。だってよく考えてほしい。好きな人と生活をともにする。それがどれだけドラマ的か。そんな毎日があれば、人生はきっと喜劇になると思うんです。

 もちろん、これは僕の主観です。友人にもいますが四六時中は会いたくない。自分の時間は欲しい。そう考える人がいるのも知ってます。もしかしたら今はそっちが主流なのかもしれません。
 でも僕は、四六時中でも考えていたいです。好きな人と過ごす時間がずっとあればいいと思います。なぜならソレじゃあなきゃ劇にならないから。
 人が1人では悲劇も喜劇も無いから。ドラマが無いと思うからです。

 自分の人生という自分が主役で他人がエキストラの劇をするのなら僕は喜劇がしたい。その喜劇には君が必要です。君がいれば喜劇になる。

 そう思う僕の気持ちを星野源さんの「喜劇」が表現してくれた。そう思える一曲だと思います。
 これからも笑い転げてふざけた生活がつづくようになりたいですね。まぁ今の僕にそんな君はいないのですが…

もしここまで読んでくださった、あなたの人生が喜劇であることを祈ります。


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