不幸だと知る悦び
私は不幸であった。
美しいはずなのに不幸であった。
賢いはずなのに不幸であった。
恵まれているはずなのに不幸であった。
愛されているはずなのに不幸であった。
失うことに怯え
劣化することに怯え
メッキが剥がれたらどうしようと怯え
自分を信じて愛しているようで、どこか強烈に怯え
怯えを無くすために焦り
そのために努力できないことでさらに焦り
或いはうまく凌いでも「できて当然」とあまり喜べない。
揺るぎない悦びを知らぬ者は結局不幸でしかない。
一時的に幸福になっても、必ずその維持に怯えるから。常に怯えをはらんだ幸せしか知らない。
だが、この根源的な不幸に気づくことの解放感よ!
なんて幸せなのだろう!
もう幸せにならなくていいなんて✨
だってどうせ不幸だから、もう怯えなくていい。幸せになろうと努力したり
努力ができないことで自分を責め立て無力感を抱いたり
或いは努力の結果に落胆しなくてもいいし
よしんば努力が実った、その果実の維持に怯えなくていい。
幸せにならなくていい。「幸せ」のための改善や向上もしなくていい。
自分は幸せじゃないからだめだ、なんとかしなきゃと落ち込まなくていい。
周りは幸せなのに私だけ不幸だと、比較して自分を責めなくてもいい。
不貞腐れではなく
真実ゆえの広がり。
真の悦びとともにない限り何をしたってどうせ不幸なのである。何かしてもしなくても変わらないのだ。
なんとシンプル!
このあり方はどうせ不幸だと、その気づきこそが緩みであり、救いだ。寛ぎだ。
この寛ぎを知る者こそ嘆かない。