第三子誕生 〜発達の遅れ・知的障害児の母になる〜
2DKの住まいから3DKの住まいに引越し
もちろん、荷造りも、引越しも、荷解きも、何も手伝わなかったアキラ
引越し後、第三子を妊娠
第三子は病院ではなく、助産院で出産
穏やかなお産だった
3人目、義父待望の男の子
男の子だから言葉が遅いのかなと思ってたら
3歳児検診で、発達に問題があることがわかった
市の保健センタ-から医療センタ-の精神神経科を紹介され
言語リハビリなど療育が始まった
「発達遅滞」「知的障害」「療育手帳」
障害児の親になった
お父さんの力が必要です
毎週程度、一緒に歩くなど運動に付き合ってください
それを伝えると「お前のせいや!お前が責任とれ!」と拒否された
義母には「全部あんたのせいや!うちは関係ない」
脳の発達が遅れてるから
体は大きくなっても行動は幼い
トイレの失敗も多かった
トイレに行くのが安定したのは小学3年生だった
母も障害者への偏見も強く
何より仕事が大事!という人だったから
身内に頼れず、必死で心理士、言語聴覚士、教育相談、学校の先生など頼った
学校も、普通級には入れず、小中と地域の特別支援学級
高校は、特別支援学校・高等部
地域の関わり
将来、どこでも働けるように健常児の中に入り
スポ-ツクラブにも6年通いました
教師からの虐待めいたことも数回
苛めもあり
泣いたり、怒ったり、いろんな屈辱も越え
感動の涙もあり
私なりに、必死で障害児を育ててきました
芸術活動も続け
市・県で表彰されました
現在、就労継続支援B型の事業所に通所してます
25歳で自ら、グル-プホ-ム入る(^^♪
そう言って自立していきました
大変でした
苦労しました
あらゆる角度から支援をやり尽くしました
障害児の親になる
DVで警察に助けを求める
家庭裁判所で調停を起こすなんて
自分の人生に起こるなんて思わなかった
愛妻家の夫に愛されて
穏やかに老いていく
そんな人生を描いてました
違いました
けれど、障害児の親になり出会えた先生方とのご縁には感謝しかありません
しあわせの価値観も変わりました
身内に助けてもらえない寂しさはあったけど
身内の過保護な支援ではなく
専門家の適切な指導を受けてきたからこそ
自立に向かって進んでこれたんだと思います
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