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DVから脱出•離婚 〜元夫を振り返る〜

16歳で出会い
25歳で結婚

結婚までも、元義母は嫌味三昧だった
そんな所から気づいて別れれば良かったものの
のぼせてたから、わからなかった

元夫は、生まれてすぐに病気がわかり
このままだと二十歳まで生きられないと言われ
3歳で大きな手術をして、現在も元気でいる様子

自分は過保護だったと言ってた

サイコパスが強い義母だったから
普通の母親の愛情はなかったと思う
小学生の時から朝食を食べたことはない
食べると気分が悪いと食べなかった
遠足のお弁当も、中学高校のお弁当も
人に見られたくなくて隠して食べた
晩ご飯は忙しいとボンカレーばかりだと言ってた
そんな育ち

結婚して、最初の喧嘩だけ謝ってくれた
あとは全く

仕事も勤めから突然「辞める、独立する」と3ヶ月で独立した
思えば、勤めのストレス、社長からの要求などに
応えることができなかった
自分の力不足は独立すればごまかせると思ったんだろう

無計画で独立したから
親戚の家に居候のように場所を借りて気を遣い
親戚なのに狭いスペースでも家賃を取られ
それもストレス

自分で得意先を増やせない
頭を下げられない
仲間が嫌気さすような得意先を回され
何も考えず大喜びで引き受け、それがストレス

仕事もいい加減にこなしてるから
得意先から怒られる
呼び出される
今まで、キレて怒鳴り散らして威圧して黙らせて勝ち誇る
そういう生き方を親に教えてもらってきたから
怒られることが耐えられない
反省とか改善、解決策がわからない
苛立ちを私に全てぶつける

人より上にいたいから持ち上げられれば来る役は引き受ける
仕事の調整なんて考えない
しわ寄せが来る
ストレス

親の愛情が思うようにもらえず
社会のルールも分からず
サイコパスの母から自分の意思もねじ曲げられ生きてきたんでしょう

それがDVという形で爆発していった

学力も普通ではなかったと思う
漢字も狂ってるのかと思うほど
歪な漢字を作って堂々と書いてた
よくある人の名前の漢字すら堂々と間違ってた

DV絶頂期、最初に離婚して欲しいと言い
もう一度やり直そうと話し
精神病院に行ってくださいと頼んだら
人格障害と診断され
違う!と病院を変えても同じ診断

学習障害でもあったような

そんな先天的なものと家庭環境が
妻と子ども、自分より弱い者には牙をむく凶暴な人間に仕上げていった

自営で融通がきくこと、外面がいいことで
PTAや地域の役を持ち上げられるまま引き受けても
役の内容がわからない
説明されても、どうしたらいいのかわからない
わからないのに人前ででしゃばり嘘三昧でごまかした挙句サボる
勤めが嫌で自営してるだけで向上心はない
仕事もごまかして通用すると思ってるから
トラブルが起きる

年齢とともに背負う責任、役割がわからない
父親としても…わからない

ずっと蓄積してきた、母親への不満も私にぶつけてたんでしょう

私をサンドバッグにすることでしか発散できなかった

一度だけ吐いた言葉
「俺は、自信がないんや
 ずっと、何をしてても自信がないんや」

これが全てなんでしょう
悟れたくない
バカにされたくない
相手に勝つためには
相手を黙らせるために暴力しかない
自分を飾り立てる嘘を吐き続ける
サボり続けて逃げる

社会でそんなことは通用しない

また、私への暴力がエスカレートしていく


私は、ずっと怖かった
離婚してからも怖かった

長い時間が流れてようやく
弱い人だったとわかった

私にとっては悪魔
人ではない

もう二度と会いたくないし
関わりたくない
何の繋がりも持ちたくない

DVの日々は、記憶から消せない
思い出せば悔しくて狂いそうになる

けれど、終わったこと

楽しいこと、生き甲斐をいっぱい見つけて
悲しい記憶に上書きして薄めていく

楽しい♪ 愉しみ♪ いっぱい見つけて

綺麗なものをいっぱい見ていきます✨




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