週報 vol.1 「時間」について
みなさん、こんにちは。
noteを書くのはすごく久しぶりな感じがしていて、前回から半年くらい空いたような感覚でいます。(実際は、3ヵ月半ぶりでした。)
4月から広島の大崎下島に移り住み、怒涛の日々を送っています。目の前のことで頭がいっぱいになって俯瞰してみることがやりづらくなったり、一度止まって内省するモードに入れなかったり、そんな春から初夏を過ごしていました。
その間には、ひょんなご縁からお仕事をいただいたり、身体や心からいろんな声が聞こえてきて手放すことがあったり。そしていつも、こうやって紆余曲折する過程を支えてくれる人たちとの関係に助けられています。
そんな中、最近いいきっかけをもらったので、これからしばらく週1本くらいのペースであれやこれやを書いていきます。数か月後の自分、無理なく続けていますように。
前置きが長くなりました。
ここからは少しトーンを変えて、自分が話している感じに寄せるので、もしよかったら相槌を打ったり感想をぼやきながら読んでください。
はい。今日は「時間」というテーマを選んでみました。
網羅的に書こうとしているわけではないので、「時間」をキーワードに僕の中でつながっていることをつらつらといきます。
ちょうどこのnoteを書くことにしたきっかけになった人が、ポッドキャストで時間について話していました。
(すごくざっくりまとめると、)以下のTEDトークを引用しながら、こんな内容だったかな。
与えられている時間は日々減っている、ということは頭ではわかっても実際に身にしみてわかるのは意志でどうこうできることじゃないような気もする。
自分の健康状態がよかったり、親や身近な人が元気だったりするうちはなかなか。ポッドキャストを聴いていてそんなことを思っていた。
このTEDトークでは、時計が刻む物理的な時間をいかに大切なことに使うか、に重心があるのかなと思った。一方で、僕は自分の身体が感じる「時間(トキ)」に意識を向けたい。
「あっという間に過ぎたな~」「まだ○○分しか経っていないのか」「もう○○歳になったんだ」
生活を送る中でポッと出てくるそういう言葉は、ジカンとトキに隔たりがあることを教えてくれる。
時間(とき)が、厚く濃くなっているとき、僕は充実や満足を感じる。
じゃあどんな時に時間間隔がずれるかと考えると、ポジティブ心理学でチクセントミハイが提唱したフローの概念とか、「今ここ」に没頭すること、とかがヒントになりそう。
子どもの頃に夢中になってサッカーボールを追いかけていたときみたいに、「我を忘れて取り組んでしまう」、という時間をたくさん重ねたいなと思う。(去年の4月にも同じようなことを思っていて、それは1年たっても変わっていない。)
哲学者の宮野真生子さんと文化人類学者の磯野真穂さんによる『急に具合が悪くなる』の一部に、「ひと一人にとっての時間とは、物理的時間と時間の厚みを掛け合わせたものではないか」という内容があった。
時間の厚みに注目するところは共感しつつ、物理的時間もたしかに無視できないよなあと気づかされた。
今日はこのあたりで。
最後に「週報」と名づけた意図なんかもちょっと書いておくことにする。
これまでいくつかのシリーズをマガジンの形式でやってみた。大抵、始めた時のワクワクや関心ごとを原動力にしているので、それが薄まってきたらそのまま書かなくなるパターンを数回やっている。
そういう経緯や自分の特性、あと今回は仕事にも絡めて書いているという状況を含めて、淡々と、でも着実に積み上げていく意図を込めて、「週報」としている。
淡々と、粛々と。
ではまた来週!
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