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「おわり」の話と、年末の過ごし方

こんにちは。

モーニングページを1ヵ月続けている。もともと1ヵ月やってみよう、で始めていたので、この先続けていくかはまだ考えている最中。


今日は、1ヵ月前のモーニングページを起点に、「おわり」がもたらしてくれることや教えてくれることについて、書きながら考えてみる。


こうやって終わりが近づく感じ、手紙を書いている時とすごく似ている。最後になると、急に言葉を選び始めるというか。死ね直前も、何を食べるかとかめっちゃ考えたりするのかな?

モーニングページの最終ページの残り4行くらいにあった記述。

この、最後が近づくにつれて、より丁寧になったり、味わいきろうと集中したりする感覚はいろんなところで同じことが起こっているように思う。


卒業式を迎える前の1ヵ月。部活の引退試合の前。

旅の最終日。

たくさんもらったさつまいもの最後の1本をどう食べるか。

回転寿司でお腹いっぱいになり始めた時も、1皿目より慎重に選んでいる気がする。


きっとこれが人間の性なんだろうなあと思う。だから、「今日が人生最後の日だとしたらあなたはどう過ごしますか?」みたいな問いひとつで、たかがそれだけで、結構変化を起こせたりするのかもしれない。


回転寿司の1皿目から、手紙の1行目から、全身全霊で味わったり言葉を選んだりしていけたら、もっと充実するのだろうか。普段からそうやって生きている人はどうやってそれができているんだろうか。

今のところ、よくわからない。もっと充実しそうな気もするけれど、てきとーに選ぶ1皿目が結構好きだし、あまり考えずにとりあえず書き始める手紙も好きだ。

僕の知っているある人は、手紙を書く時、あらかじめどんなことを書くかしっかり考えてから書き出すらしい。そうじゃないとなんか嫌だ、と言っていたような気がする。

でも僕は、そのてきとーさを好きだと思ってしまうから、今でもてきとーに書き出しているのかな。


~~

少し話が変わるが、「おわり」という言葉で思い出すことがある。遺言状だ。

去年の暮れ、念願かなって(?)自分の遺言状みたいなものを初めて作った。


自分の状況も当時とだいぶ変わっているから、今年も年末という機会を利用して、更新しようかなと思っている。この間、更新する必要がありそうか見返したら、そこに書いてあることに少し感動してしまった。軽めのことしか書いていなくて別に感動的な文章もないし、考え抜いて書いたものでもなかったんだけど、当時の心境がストレートに表現されていた。

ちゃんと書いておくと、何か万が一のことがあったときに、後悔せず安心していられるなあと感じて、それに心が動いていた。


ということで、今年もゆっくり時間をとって、遺言状を更新しようと思う。

あと、新たにやると決めていることがある。延命治療に関する意思表明もしておこうということ。

自分の意思表明がなければ、代わりに家族が決断することになる。僕じゃないのに、「きりは何を望んでいるだろう」と想像し、決断し、その決断の責任を負うことの大変さは容易に想像がつく。1~2時間、ちょこっと勉強して、簡単な書面を作る。それだけで、万が一の時、自分の大切な人に大変な思いをさせないことができるなら、やるしかないよね。

今回は自分の家族も巻き込んでみようとたくらんでいる。自分だって、本人に代わって決断をする立場に置かれることは、できることなら避けたいと思うから。

なんかいろいろ大袈裟に考えすぎと言われたり、元気なのにそんな悲しいことを考えなくていいじゃん、と思う人もいるかもしれない。

けれど、これは、僕が今元気だからこそできること。大切な人たちに対して見せられる誠意や思いやりであり、精一杯の心を込めていること

同時に、できることがわかっているならちゃんとする人でいたいという自分の願いを叶えてあげることでもある。


この記事を読んで、ちょっとでも心が動いた人、今この瞬間が動き出すための1番のチャンスです。心が動いた感覚は、時間とともに急速に色あせていくものだから。

この本、とてもとても短くてわかりやすかったので、
最初の小さな1歩におすすめです。


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きり/黒澤季理
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