君はハイハイボーイ、私はお座りガール
3月31日。それは、4月1日の1日前だ。
ついに頭がおかしくなったのかと言われそうだが、多分そうなのだと思う。
明日から、ついに娘が保育園に通う。
華々しい社交界デビューを飾るのだ。
周りよりもずいぶん、いろいろなことができない娘が。
娘は0歳9ヶ月。まだまだ赤ちゃんだ。彼女はあまり発達が早い方ではなく、というかかなり遅い方らしい。6ヶ月で生えると言われていた歯もまだ見えてこないし、「9ヶ月なんだ〜じゃあもう動いて大変でしょう」と言われても、ハイハイどころかうつ伏せにすると怒りながらすこーし後ろに下がる程度だ。あと数日で10ヶ月を迎えるのに。
新型コロナウイルスの影響もあり、随分と引きこもった生活をしてきた。バスですぐ行ける距離にある子育てサロンにも行かず、お出かけしても誰かに触られたら覗き込まれるのが怖くて近くを歩いてすぐに帰宅した。少しずつ落ち着きを取り戻した世の中にそっと足を踏み入れた私と娘を待っていたのは「あれ、もしかして、全部遅れてる?」という感覚だった。
久しぶりに会った3ヶ月差の友人の娘ちゃんはそれはそれは発達が早くて、歯なんて5ヶ月で生えてきていたし、今の娘の時期にはつかまり立ちを披露してくれていた。
その子や周りを見ても、育児書を読んでも、インターネットを覗いても、娘の発達は「遅い」の一言だ。どんなところにも必ず(※発達には個人差があります。他人と比較せず、赤ちゃんを見守りましょう。)と書いてある。が。
そんなふうに付け足されたところで娘の発達の遅さが気にならないわけがない。だって今、普通もっと早いよって言うたじゃろう?あなたが言うたじゃろ?今更信じられるかい!とiPhoneに八つ当たりして、娘が寝ている間に1人めそめそしてみたりしていた。
そして育休中の身である私は世の流れに沿って「保活」、保育園活動をし、大変ありがたい事に無事希望する保育園の切符をゲットした。してしまった。
ホッとする気持ちよりも娘と離れ離れになる事の方がずっと重く私にのしかかった。何もしてあげられていない、何もできていないこの子が、私の手を離れて他の人のところで、自分と同じ月齢でも出来ることがたくさんある子達のところに紛れて過ごすのか、と心の片隅に暗い重いものが沈んでいるのを感じた。
そんな時、遠くに住む同じく育休中の友人が子育てサロンに行っている動画をInstagramに上げているのが目に入った。
「気分転換に行ってみるのもいいか…」と、重い腰を上げ、いっそ箱に入れてしてしまいたいほど可愛い娘を連れて、子育てサロンに向かった。
初めて行ったその場所には、4組ほどの親子がいて、ハイハイ〜走り回っている子まで、大体0〜2歳くらいの子供たちがいた。久しぶりに生で子供がたくさんいるところに来たのもあり、子供好きな私は大興奮。可愛い。可愛すぎる。ここは天国か?「みてごらん〜お兄さんお姉さんばっかりかな?どうだろうね?」と娘を見ると、
目を見開き、眉間にこれでもかとシワを寄せ、全力で帰りたい感を出してこちらを見上げていた。思わず笑いそうになるが、グッと堪えそっと床に下ろしてみる。即、ギャン泣き。えええそんなに?!と慌てて抱き上げると、足元から「あー!」と声が聞こえてくる。娘を見て一目さんにハイハイして向かってきてくれた赤ちゃんがいたのだ。
可愛い可愛い可愛すぎる連れて帰り…じゃなかった、「はじめまして〜きてくれたの?ありがとう」というと、にぃと笑ってくれる。えええ天使?!デレデレする母、泣き叫ぶ娘、華麗なるハイハイを見せてくれる赤ちゃん。よくわからない絵になっていたかと思うが、「うちの子がすみません、こんにちは〜泣かせちゃいましたね」とその子のお母様らしき方に話しかけられた。
ああいえ全然、違うんですとそこから少し、当たり障りのない話をして、ハイハイボーイ(急に命名)の話を聞かせていただいた。
なんと、今こんなにもスイスイなハイハイボーイ(0歳10ヶ月)、つい2週間ほど前に初めてハイハイしたというのだ。そんな短期間でここまで上達する?というほど美しいフォルムで高速ハイハイを見せつけてくれている。「すごい…!…実はうちの子、まだずり這いも何もできなくて…」と言うと「わかります!そういうの焦りませんか?うちの子、寝返りできないんですよ。」と。
え?!こんなに動ける子が?!と思う程なのだが、一度洗濯物を干している間に寝返っていた(のでその瞬間は見ていない)だけで、一切やらないのだそう。「でもその後無事、お座りとかハイハイできるし、まぁいっか〜と今は思ってます。ついつい人と比べちゃうけど、生まれてまだ1年も経ってない人たちに何求めてるんだって言うね〜」と爽やかに笑う彼女の言葉に、私は自分が自分と娘にかけていた『普通の呪い』がサラサラと溶けていくのを感じた。
「普通はこの時期に歯が生えて…」
「7ヶ月ならもうハイハイするよね」
普通、当たり前、平均、正常。色々な姿形で、時には道標として、時には重石として現れるそれに私は自ら囚われていたのだ。
赤ちゃんたちにとって、月齢ごとに出来ることや理解できる事象などが増えていく。そして古今東西の素晴らしい専門家たちによりそれらが分かりやすくまとめられている。それはあくまで指標として使われるべきたのだが、ついつい「◯ヶ月ならこうなるはず、こうあるべき」と型にはめようとしてしまっていた。
そうじゃない。大切なのは、目の前の娘なのだ。
みんなみんな、足並み揃えて育っていくならそもそもこんな指標なんて出来なかったはず。ここから飛び出て早かったり、びっくりするほどゆっくりだったりする「個性」が沢山あって、なんならありすぎたから、「平均するとこんな感じだよ。でも、個体差がすごくあるから鵜呑みにしないでね。約束だよ」という言葉をみな書いてくれているのだ。
その日から心の隅にあった暗い重いものは姿を消し、娘の個性と向き合う事に注力した。
彼女はお座りが得意だ。たまぁにひっくり返って泣くこともあるけれど、1人でずーっと座って遊ぶことができる。
彼女はご飯を食べることが好きだ。バナナなんて半分くらいペロリと食べるし、自分の拳の倍以上あるいちごをむしゃりとかぶりつき完食できる。
彼女は大きな声を出すことができる。大人でも出ないんじゃないかと思う声量で奇声を発し、私たちを笑わせてくれる。(保育園ではどうかボリュームは控えめにね…!)
彼女はいつも、私たちにとびきりキュートな笑顔を見せてくれる。彼女の笑顔を見るだけで心がぽっかぽかになるし、幸せすぎて顔がとろんとろんになる。天使かな?天使だなぁ。
数えたらキリがないほど、私の愛しい娘は素晴らしい子だった。ハイハイができない?一生できなくても、たとえ歩けなくたって彼女の素晴らしさは何も変わらない。できたら+で素敵が増えるだけで、今もう十二分に素敵で素晴らしいのだ。
私は娘にハイハイして欲しいんじゃない。ただただ、幸せになって欲しいんだ。
そんな当たり前のことをあのお母さんと赤ちゃんが教えてくれた。
あれ以来、何度子育てサロンに顔を出してもあの親子には出会えない。共通の知り合いもいないし、また出会うことは限りなく難しいのかもしれない。
でももし、また出会えたら。
ハイハイボーイ、君はもっと早くなってるかな?
お座りガールは、今度は笑顔で遊べるかな?
また会えたその日には、増えた君の素敵を教えてね。
また会えるその日まで、娘の素敵を数え続けるね。
明日から、新しい日常が始まる。いろんな子がいるだろう。
けど、愛しのお座りガール。あなたが居るだけで、私は幸せよ。