「Aging展」ー 橋田朋子研究室&ドミニクチェン研究室ー時間による生活の編集
前文
橋田朋子研究室&ドミニクチェン研究室が共催した「Aging展」についての考察です。時間概念にまつわる多様な解釈がつくり上げる虚構の生活イメージに対峙する実生活との齟齬は〈良い〉生活を送ることに関わる概念〈ウェルビーイング〉〈Time well spent〉を自然に導出している展示でした。Aging展では時間概念が展示全体に横たわっており物の経年変化、時間変化の可変性、時間と身体の関わり、時間変化による関係性の醸成などが背景に読み取れ時間の存在条件を要求している展示であった。扱われるメディアも写真、彫刻、サービス、衣服など複数の媒体があり、メディアの特性によって現れる時間概念の特性と実世界にメディアが晒されることで受ける影響がメディアにはたらきかける概念の差異があることで生じる概念の誤読によってメディアが一人立ちすることを思いました。特に「ものかたり」「DISPLAGE SHOWCASE」などにはその気配が読み取れ他の展示の文脈でも見たいと思いました。
時間論の導入(読まなくてもいい)
展示では時間の存在条件の分析と時間概念とメディアとの関係性の分析の2つの観点から考察を行うことができる。後者は個別の作品評でおこない前者の検討を行う。
時間の存在条件はトラウマのような対象の分析をすすめることで分析者を停止する存在〈ハイデガーの指す実存在〉との対峙によって生成される自己の内の世界と世界の内の自己の二重性によって身体を伴う自己が構成される。この自己が経験を行うことで、自己の外の世界である共同体の同一の法則に支配される異なる経験との属性の比較によって時間が生じる。
時間を考察するうえ身体を持った自己の成立以前の条件が時間概念に影響することは共同体の法則性に参照されない経験と対峙する〈芸術との対峙〉以外には除かれ、身体を伴う自己の経験によって時間概念の過去、現在、未来の考察を始めることができる。ベルクソンのいう時間とは記憶の集積によって現在が過去になること、未来が現在になろうとすることの持続性によって時間が成立するという考えに対して経験は現在が過去になることを確定させる力をもち経験が持続に先立つことを示している。
氷時計を例に取ると現在が過去になり未来が現在になる一連の単位は〈水滴が漏斗に滴るー水滴が水面に落ちる〈意味の確定〉ー新しい水滴が滴り始める〉で構成されている。水滴が落ちる時の前後の位相によって過去と未来が示され現在を構成している。それだけに水滴が落ちるという意味を経験する自己が時間に先立つことを示している。またこの作品ではその過去と現在の間の変化量を温度変化による外的変化によって時間の可変性に言及している。
このように自己の経験が先行して時間概念が生成されており、時間の可変性、経年変化、身体の関わりなどを包括的に含んだAgingが構成されていることに言及した。時間概念の仔細なことは〈時間の生成が投射する生活について〉についてで述べているので参照させられたい。
時間概念ダイアグラム
作品考察
・INTRODUCTION-ありふれたAGING-
エイジングをテーマに直観的に撮られた写真には古くなった建物のひび割れ、トタン板の退色など物理時間経過が描写されAgingのガイドラインを来場者に与えてくれる展示であった。また撮影者が集めた写真の集積は物理法則/社会法則の支配する時間の豊かな諧調を表出させ大学生Aを取り巻いている生活の中での時間法則の複層性を浮き上がらせメタ的な私写真に取り組んでいるように見えた。
INTRODUCTION-ありふれたAGING-
ちょっとダウナーな感じがするのが今っぽいと思った。
・氷時計
前節でも言及した過去ー現在ー未来の間の持続性を説明している作品であるだけでなく時間単位の解像度は経験によって構成されるが、その経験は社会法則だけでなく物理法則からも影響されていることを投げかける作品でありAgingの領域を〈INTRODUCTION-ありふれたAGING-〉から広げていた。時間単位の解像度は産業革命以後、工場の分業制の導入によって他者と時間を協調せざるおえなくなったことで細かくなっていたが、この氷時計はその時間秩序が社会的影響以外にも夏至や冬至など物理法則によって支配されていることを近視眼的に見せてくれている。
氷時計
茶室に飾られた生花の葉に水滴があった。茶を飲み終えるとその雫は消えていた。
亭主は私が来る前に用意していたのだろう。そこに気配りの時間を感じたのだ。
・コトは生きている
私がおじぎした動きをロボットがタイミングと角度を模倣した動作を眼前で再現し、私がフィジカルに体験した時に不安に襲われる。不安はロボットが行う動作は私が行った動作であるのだがその同一性のある動作として飲み込めない差異の感覚である。〈私が私である〉の主語の〈私〉と述語の〈私〉の差異についてフィジカルな動作で体感することで生まれる動作の不一致が身体情感を生んでおり、その情感の条件と動作の誤読性を含むこの作品が実生活でどう存在できるのかを想起させる作品でした。
日常の仕草や言葉・規律・風習。普段これらが「生きている」と感じることは少ない。しかし人から人・モノからモノへ住み移り、同一性を保ちながら生き永らえたり増殖する様子は生き物とも共通点を持つ。本作品では、多様な肉体なき「生き物」たちを捕獲するべく、我々が開発した様々な「檻」をお披露目する。
コトは生きている
同一性の不一致によって襲われる不安がよかった。
実生活のどこでその鑑が見られるだろうか。
千手観音像
腕を突っ込んでその手が観音像の千手になる。その過程で観音像に投影された腕の映像に対して自分の腕なのではないかという身体所有感の移動がおこる。この動作が行為に至る時の変化を経験することで時間というものを感じることができる身体に根ざした作品だった。
千手観音像
動作が行為に至るときに時間があったことを感じさせてくれる。
・モノカタリ
レシートの購入物から透けている生活を編集して小説として再構成された虚構は実生活の間を揺らす働きを作っている。この装置は新しいレシートを印刷して、そこに占いのような掲示を与える。その小説の内容と物体としてのレシートを妄想=誤読をすることで過去の体験の意味が付与された感覚に陥る。そして体験に対して100円払ってもいいかもしれないことを納得させている点が凄く生活の存在に耐える作品だった。私に生成された占いは「家路に帰る途中に缶チューハイを買って三叉路を迷いながら私自身も迷っているのだ」というような精神分析的な掲示が生成されアルゴリズムが不適当だったとしてもそれを妄想して解釈する力を体験の中で構築しており、物体としてのレシートが鑑賞者に与える誤読性は知の集積物でもありながらも商品でもあるという物体が人文知とエンタメの架橋を果たしていた。
モノカタリ
占い装置にみえる、
やっぱり貰った紙があるから占いに100円払ってもいいと思っちゃう。
誰かに見せれるし、時にゴミにもなるけど。
・DISPLAGE SHOWCASE
DISPLAGE SHOWCASE
ブルーノ=ムナーリの役に立たない機械に準ずるような装置がつくる最初の一歩を機械が引き受けてくれる装置。
使いかけの状態に加工される<消しゴムと上履き>はダメージジーンズのUSED加工と同義の構造を取っているように思える。彼らが試みた消費行為は未使用なのに使い古されているというギャップが生活への創造を掻き立てるストーリークリエイターとしての機能を作り出していた装置としてみることができる。また製造工程にはブルーノ=ムナーリの役に立たない機械に準ずるような無為の生産に触感性を感じた。生産物として消しゴムが内在する〈新品の誰かが使ったような中古品〉は彼らは臆することなく使う魅力に言及しており実世界に耐える概念なのかもしれないと思った。
モノを加工すると同時に人間の意思を感情の持たない機械に壊させることで、臆することなく商品を本来の方法で取り扱うことができるのではないだろうか。
Agingという概念の射程とモノの信頼性
Aging展は時間概念に対する考察を、時間秩序の可変性、動作、行為の時間構造の検討、などに言及し生活についての虚構性を構築していた。それはフィジカルな世界に存在している時間が編集可能であり生活の営みに関わること。そして生活をよくできる手法を検討する筋道をつくっていたと言える。それはウェルビーイングといった概念を引き寄せておりトリスタン・ハリスの提唱するTime well spentといった、いかに時間をよく使い生活するかといった思考を射程に収めていた。Aging展というメスをサービスだけではなくモノに対しても時間の編集性について差し込んでおり、実生活の中で私ではないかもしれないが、共同体に属する誰かの生活の営みの行為を再構築することができる概念であることが示されたように思える。
一方で作品自体がどこかで見た既視感のあるものにキャプションが加わったものにも映り、モノのもつ多様な解釈をキャプションの束縛からしづらいとも思いました。作家自身のコンセプトの重視の態度でもあるが、モノが実生活に対する多義的なストーリーをつくる力をもつことは、実世界での存在の耐性である。消費されるエンタメ〈もの〉としても解釈でき、なおかつ知の集積である人文知〈キャプション〉としても解釈できる作品が〈もの〉に要求されていることも見えた。その点においてモノカタリが鑑賞者にレシートを占いとして提供する機構はとてもよかった。
参考文献
ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術
ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ (著), 渡邊淳司 (監修), ドミニク・チェン (監修), 木村千里 (翻訳), 北川智利 (翻訳), 河邉隆寛 (翻訳), 横坂拓巳 (翻訳), 藤野正寛 (翻訳), 村田藍子 (翻訳)
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