もちは一生分食べた
この時期になると、私の地元では各家庭でもちつきをする風習があった。
松本家でも、もちつきは毎年恒例の行事。
もちをつくといっても、うすを使ってペタペタ、こねこねするわけではない。
もちつきの機器でもちをつく。
大量に蒸したもち米をボウルのようなところに放り込み、こねられたもちがウンチのようにうにうにと出てくる。
それをまたボウルに放り込み、もう一度餅製機でこねる。
2~3回こねられたもちは、ころころ丸めて完成。
作ったもちは親戚におすそわけしたり、遠方の知り合いにあげたりする。
もちろん自分たちでもおいしく食べる。
消費しきれなかったもちは、カビが生えて結局処分するはめに、というお決まりのパターン。
幼き頃から年末年始はもちをたらふく食べるということを何年もやってきた。
おいしく食べる、から、消費する、という感覚にいつしか変わっていた。
毎年のようにもちを食べているとさすがにもう食べたいと思わなくなる。
もちを自分で買ったことがない。
買う必要がないほど家で作ってきたからだ。
絶対に食べたくないということではないが、もう食べなくていい。
もち料理を選ぶこともない。
もちはもういい。