飽食の時代私が幼い頃は、まだ戦中・戦後世代の方がご健在で、よく「今は飽食の時代だ」と言われた。その真っ只中に生きる私には、その意味がよくわからなかったが、今はよくわかる。飽食とは、マヨネーズへの感謝を忘れることである。
インド出張ある年の春、私は仕事の都合でインドにいた。
空港から外に出て辺りを見回したとき、飛行機の中で観た『Mad Max 怒りのデスロード』とほぼ同じ世界観が広がっていたので大変驚いた覚えがある。町の建物は経年劣化では説明できないような荒廃ぶりを見せてい
先日、夏盛りの8月最初の土曜日に友人の結婚式に出た。40℃近い気温の中でシャツに襟を通してネクタイを締め、上着を羽織ったとき、祝いの場の正装とはいえこれが果たして本当にTime Place Occasionに適した装いなのか、死の谷を渡るのは下手したら今日ではないのかと戸惑いがあった。
昭和のサラリーマンはかつて、この格好で炎天下でも一日を過ごしていたという。当時と今で温暖化が進行していることを差し引いても、尊敬の念は禁じ得ない。
私の友人は書家であり、語学研究者であり、酒
以下は、内陸県の地位向上に尽くしたある男が、群衆で埋め尽くされた葛西臨海公園で語った演説の一文である。
私には夢がある。いつの日か、南紀の白浜の上で、内陸県の子供と海あり県の子供が同じビーチパラソルの下で一緒に座ることができるようになるという夢だ I have a dream that one day on the white beach of Nanki the sons of Inland prefecture and the sons of seaside prefe