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「誰にも公開しない絵を10年間描き続けている」ヒトに出会った衝撃

先日、仕事で知り合った人とたまたま飲みに行く機会があった。

最初は無難に仕事の話をしていたが、話はお互いの趣味の話に移り変わり……というよくあるパターン。

私は、読書や映画鑑賞。最近はサウナ。
我ながら、無難すぎてつまらない答えだ。

そんな自虐気味に苦笑しつつ、私はその人に趣味を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「絵を描いているんです。マーカーで」

マーカーとは、今時、珍しい。
今のイラストはデジタルが主流だ。

マーカーの塗りもデジタルで再現できるし、画材を管理する必要もない。

「色を塗るのが好きなんですよね」

次に、その人は絵を見せてくれた。
ひいき目なく、元ゲームライターの私の目から見ても、今時のソシャゲなどで十分に通用しそうなイラストだった。

何よりも、非常に丁寧な塗りだった。その絵には光を当てたようなエフェクトが施されていたが、それもアナログの自前らしい。

1枚仕上げるのに、1週間かかると言っていた。繊細なタッチと丁寧さの裏付けとして、十分納得できる時間だった。

「こんなに上手いなら、プロになれますよ。その道に行こうと思ったことはないんですか?」

私がそう尋ねると、

「思ったことは、ありました。けど、結局趣味に落ち着きました。絵を描くのは、気分転換やストレス解消なんです。プロになると、それができなくなってメンタル壊れそうなので……」

そう言ってその人は照れくさそうに笑っていた。

それだけでも十分に衝撃だったが、私がさらに衝撃を受けたのは次にその人が話したことだ。

「SNSや投稿サイトで公開しないんですか?」と私が聞くと、


「公開しません。あくまで趣味なので」

そう、なんでもないことのように返した。
それが、私には何より衝撃だった。

曲がりなりにも私は、ゲームのライターからWebライターになった身だ。それ以前には、漫画の道に行きたくて絵の勉強をしていたこともある。私の創作活動はすべて、「公開して評価される」ことに直結している。

無論、そうじゃない人がいることも知っている。純粋に創作を楽しんでいる
人もいるだろう。でも、創作は「成果」と直結するはずだ。


自分が描いた絵を誰かに見てもらいたい。
書いた物語の感想が欲しい。

それは当たり前の欲求だと思っていた。
なので、「塗るのが好きだから」という理由で、ネット上にも公開せず、絵を描き続けている人がいることに衝撃を受けた。

今度、ひっそりと見せて欲しいと言うと「仕事関係の人に秘密にしてもらえるなら……」との条件付きで承諾してもらった。

それからしばらくは、その人の絵や言葉が頭を離れなかった。

評価も報酬も求めず、ただひたすら絵を10年間描き続ける。

それは私にはできないことだ。

ありがたいことに、私は文章で生計を立てている。だから、「この記事を何時間で書くと採算が合うか」とか「どこまで調べれば、どのぐらいの価値が生まれるか」といったことをつい考えてしまう。

文章にはレギュレーションがあり、読者の反応があり、クライアントの思惑が入ってくる。純粋に「書きたいことだけを書く」ことは、仕事ではできない。

ただ、私が文章を書き始めた最初の頃――少なくとも、「ただ純粋に書くのが楽しい」と思っていたときもあったのは事実だ。その頃の楽しさや気持ちを思い出すことは、もうできないだろう。

仕事として書く文章も十分に楽しい。
しかし――あの頃の気持ちを取り戻し、感情の赴くままに筆を走らせられる日が、またいつか自分に訪れて欲しいと、願ってやまない。

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