再開と信用・信頼の関係性について
人間の心理において、途中で中断したことを再開するのは非常に難しい課題なのだ と感じることが多々ある。
先日書いた『再開することの難しさについて』でもあるように、自分自身、何度のこの課題に直面し、自分の感情や行動を深く考えさせられることが多々あった。再開するには感情的なハードルがあり、それは往々にして自分自身に対する厳しい評価や失望感である。
例えば、何かをやる と決めたにも関わらず、途中でやめてしまうことがあるのだけれど、そのときに再開することが非常に難しく感じられるのは、自分自身に対する失望感が原因であることが多い。「自分はルールを決めたのに、それを守れなかった」と自己否定的な感情に支配されてしまいがちです。このような感情が再開への意欲を削ぎ、ハードルを高くしてしまうのだろう。
再開の難しさには、他人との関係も深く関わっている。例えば、個人的な日記や趣味のように、他人に迷惑をかけないものならば、再開しなくても自分自身が傷つくだけで済む。しかし、誰かが関わっているプロジェクトやイベントの場合、中断することで相手に迷惑をかけてしまったり、「こうなったらいいな」という期待を裏切ることになり、非常に残念な気持ちにさせてしまう。その時、往々にしてあるのが、自己防衛のためにこの事実をなかったことにしようとする傾向があるのだが、それは非常に誠実さに欠ける行動である。そして結果としてこのような行動により、他人からの信用を失うことになるのである。
そもそも信用とはなにか?
先日、自分が石巻にきて非常に尊敬をしている方は「最も大切なものは信用だ」とおっしゃっていて、「長い人生経験を通じて、最終的に残るものは人間関係の中で築かれる信用だ」と協調されていた。信用があればこそ、他人からの協力を得て、ともに何かを成し遂げることができ、まさしくそうである。
ではその信用を築くためには、相手のために行動することがシンプルに重要であろう。世の中では「テイク(受け取ること)」と「ギブ(与えること)」で「ギブ」が大切だ という話はよくあることなのだけれど、それはまさにその通りなのだろう。ギブの精神に寄って相手を喜ばせることを考え、それを実行することで、信用と信頼が生まれるのだが、テイクばかりを考えると、相手に「この人は取るだけの人だ」と思われてしまい、信用を失うことになってしまう。
信用を築くための具体的な行動として、相手にとって何が喜ばしいかを考え、それを実行し続けることが大切で、それをより更に効果的にするものが「滑らかな報連相」なのだろう。何かあったときに「~~と考えているのですが、いかがでしょう?」とまずは伝えることが、相手との信頼関係を深める一歩になるのだろう。
再開の難しさと信用の重要性は、一見別々の問題のように見えるのだけれど、きっと深いところで関連しているのだろう。他人と良いものを創っていくためには、まずは自分の”弱さ”と向き合い、自己中心的な考えから脱却し、ギブの精神を大切にすることによって信用と信頼が貯まっていき、チームとして良い状態になっていくのだろう。
このように書いてはいるものの、言うは易く行うは難しとはまさにこのことで、ドミノの1枚目である「自分の”弱さ”と向き合い、自己中心的な考えから脱却する」ための活力を得るには何が変数となりうるのだろうか?
今のところ「健康な肉体とメンタル」「正義感」「憧れ」があるのではないか?と思っているが、まずは他人よりもまず自分自身が「自己保身」を乗り越えられるよう、「健康」や「真善美」を大切にしていきたいと思った。
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