世界報道写真展2018
こんにちは。キリンと申します。
今日は、去年世界報道写真展に行った時の私の心の動揺を書き記したいと思います。
やっぱり写真から伝わるものって、凄まじいものがあって、写真展を出たあとの私は動悸がすごくて、胸を震わせながら思ったことをノートに書きました。
今回はそれをそのままここに置きたいです。
自分として忘れては行けない想いだと思うので。
とても恥ずかしいし、痛い事を書いています。
注意して読んでください笑
2018/06/29 世界報道写真展2018
すごかった。
何がすごかったかっていうと、視覚が心に訴える強烈さ。
写真にはそれがある。
自分の見ている世界がどれだけ小さかったか痛感した。
私は今ここでこの世界で何をしているんだろう。
世界には色々な問題があって、日本にだっていろいろな問題があって、なんでそれをみすみす見逃してきたんだろう。
なんでこんな小さなことで小さな悩みでそのままその場で立ち続けていんだろう(何に悩んでたのか覚えてません。たぶん別れた恋人のことかな。)
あの場所で何を満足していたんだろうか。
くだらない、くだらない毎日。
私は今何をしたくて何を望んでいる?
何で(こうやって感じたことを)すぐに全て忘れる?
何でこうしている?
なにをしている?今、私は。
悩みに大小なんてないだろう。
そんなことは分かっている。
人は死ぬ。いつか死ぬんだ。
私は何かの幸運でこの比較的平和な日本に生まれ、20歳まで生きてきた。
何らかの幸運で。
もし生まれた場所が違えば?
今の私はここにはいないだろう。当たり前だけど。
昔は選択も何もしないで流れるままに生きてきた。
自分の持てる選択肢は少なく、また、選択の重みを知らなかったからだ。
でも、今はわかる。
自分の持てる選択肢が無限にあること。
また人生は1度きりしかなく、その1度の人生を決めるのは何回もの自分の決断であり、その決断にどれだけの重みがかかっているかということ。知っているはず。
世界報道写真展で自分の知らない世界をみて何を思った?
同情?彼らを救いたい?
いや、そんな大それたことは考えていないはず。
そもそも世界で起こっていることを知ったところで何につながる?
お前の流した涙は何の意味をもつ?
何の意味ももたない。
お前は今日、知らない世界を知ってどうしたい?
自分の世界をもっと広げたい?
広げたところで何がある?
それはわからない。広げてみないとわからない。
勉強ってそういうものじゃないのか?
それを勉強したところでその先に何があるかなんてわからない。
だからいいのでは。
私はこのまま今日見た世界を知らないフリして生きていくのか?
ちがうだろ?
今日受けた衝撃。
自分がいかに小さな世界で生きていたかをちゃんと受け止めて前に進むんだ。
進む。前に。世界を広げる。
身近なとこから世界の裏側、時空を超えてまで、自分の世界を見に行く。進む。
こんなにも自由な時間があるうちに。
変なハンディキャップは捨てろ。
つまんない人間に成り下がるな。
考えろ。世界を広げろ。
広げた先に何があるかなんて知らん。
広げてから知ればいい。
人生は知らない世界を知るためにあるんだ。少なくとも私の人生はそうなんだ。
私の世界を広げたいという欲望。
これが私のオリジナリティであり、個性となる。
広げろ。世界を。
めちゃくちゃ小っ恥ずかしいですが、自分のためだけにここに置いておきます。
お目汚しすいません。
それでは、また。