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大学4年間でやりたいことを見つけるには

おはようございます。キリンと申します。

最近気づいたことがあります。
それは「やりたいことがない」という大学生が多くいることです。

勘違いしないでもらいたいのは、私はやりたいことがあるからと言ってその人たちを見下しているわけではありません。
人間は自分を幸せにするために生きているのであって、やりたいことがなくても幸せな人もいます。
だからやりたいことは人生に必須かと言えばそうではないでしょう。
ただよく「どうやってやりたいことを見つけたの?」と聞かれるので、私なりの解答をnoteにして発信したいと思います。

興味の種

持論ですが、誰しも1つや2つ、もしくはそれ以上の興味の種のようなものを持っていると思います。
何にも興味を示さない人も中にはいるでしょうが、大抵の人は少なくとも1つは持っていると思います。
それに気づいていないだけです。

大学の授業を全く聞かないという人は論外ですが、講義を聞いてちょっと面白そうだなと思うものはありませんでしたか?

大学生の授業は多かれ少なかれ選択授業があると思います。
必修の授業でおもしろいと感じられたらそれはそれでいいでしょうが必修では感じられなかった人は選択授業を大切にしましょう。
選択授業を単位が取りやすいかどうかの基準で選ぶのは論外です。
何のために大学に来ているのか?
卒業するためだけに大学に来ているのならやりたいことがないのは当然です。
選択授業はできるだけ興味があるものを選びましょう。
興味がないものしかなかったらどれでもよいです。
とりあえず授業を聞いてみる。
つまらないと思ったら聞かなくていいです。単位だけ取得しましょう。
どの授業でも全く興味がわかなかったら、貴方の興味は大学で学べるようなものではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか。
自分の休日にすることなどを分析しましょう。

興味の種を育てる

おもしろそうと思うものがあったら、メモをし、もう少し踏み込んでみることが大切です。
おもしろそうと思うだけでは「やりたいこと」までいきません。
それに関する本を読んだり、講演会に行ったり、人と交流しましょう。
種は水をやらなければ育ちません。
興味の種は日常の中のいろいろなタイミングで見つけられます。
それを逃さず、勇気をもって踏み出すことが大切です。

興味の種が見つからない?

それでも種を見つけることができない人が多いかもしれません。
その人たちの多くは、既存のものから興味の種を探していることが多いです。
例えばゲームだとかヨガだとかを見てあれでもないこれでもないという。
それはそうです。
だって興味の種は貴方独自の品種だからです。
言ってみれば新品種です。
それなのにバラの種やひまわりの種を探してしまう。
それで見つかる場合もなくはないでしょうが、見つからない場合ももちろんあります。
貴方のやりたいことは既存のものである必要はありません。

また、「やりたいことが見つからない」という人は無意識に職業や仕事につながるようなやりたいことを探している場合もあります。
やりたいことが職業や仕事に結びつく必要なんてあるのでしょうか?
答えは2通りあります。
やりたいことがあるがそれが職業や仕事に結びつかない場合、その職業や仕事は既存のものから探していないか?
ないなら作り出せばいい。
最近では学生で起業することは珍しくありません。
そこまでのリスクを学生時代に冒せなくても、将来起業する選択を持つだけで違うと思います。
また、職業や仕事に結びつくようなやりたいことが見つからない場合、仕事はやりたいことをやるのがいいという幻想に憑りつかれていませんか?
仕事なんて生きられるお金を稼げれば十分です。
ただ、お金を稼ぐモチベーションとしてやりたいことがあったほうがいいのではないでしょうか。
就活時の志望動機なんて捏造しましょう。
やりたいことが見つかれば、社会人は楽しいです。

大学生活の4年間を何に使うか?

学生生活は興味の種を見つけるのに適していると思います。
大学生活は特にです。
もちろん、大学や学部にもよりますが、学ぶ内容に選択の余地があります。
この4年間で興味を育てあげることができれば、社会人になっても楽しく生きられるのではないでしょうか。

私自身の話

私の個人的な経験を述べますと、選択授業で異文化交流に関する授業をとりました。
最初は講義名に惹かれただけでしたが、授業を聞いていくうちにどんどん興味が湧きました。
あるとき、授業内で教授が「世界報道写真展」のチラシを配りました。
その写真展のレビューを書けば点数を加算してくれるらしいのです。
必須ではありませんでしたが、おもしろそうだったので、一人で行きました。
そこで得た衝撃は今でも忘れられません。
それからというもの私は、格差に強い関心を持つようになり、格差に関する共同論文を執筆したり、ミクロネシアにフィールドワークを行ったりと、自由度の高い大学生活を格差への活動で埋めました。
その結果、やりたいことが見つかったのです。

やりたいことが見つからない?
見つかるような行動を起こしたのか?
世間から与えられた理想像に囚われていないか?

それでは、また。