ゲームの作り手から見たアタック25
2019/03/10放送のアタック25に出場した。出場してわかった舞台裏の話もまじえつつ、アタック25の「ゲーム」としてのすばらしさについて語っておく。
ルール
ゲームの良し悪しは、まずはルールの良し悪しだろう。
アタック25のルールは、オセロに着想を得て、常に逆転が発生しうるように構成されている。
4名で行うため、オセロよりもさらに逆転の可能性が高い。運良く後半に3問連続で答えたら、それだけで優勝もあり得る。
また、多くパネルを取っているプレイヤーほど、指定できるパネルが制限され、いい位置に入りづらい、といったジレンマも発生するようになっている。
結果、最後まで勝敗が読めない = 最後まで見どころのある番組の流れになりやすい。
このグランドルールは秀逸で、変更なく40年以上運用されている。
出題のチューニング
ゲームは「ルール」と「データ」の掛け算で作られる。アタック25では、番組的に面白いシチュエーションを誘発するために、データに相当する「クイズの出題」がチューニングされている。
序盤は映像問題など、時間経過により正解が明らかになり、最終的に誰でも答えられる問題が多く出題される。この状況下では、早押しが得意な回答者が多数のパネルを取る展開になる。序盤に誰かが先行したほうが後半の逆転劇が際立つため、このような展開が望ましい。
ちなみに、アタック25では「2問目を回答すると損」とされている。しかし2問目に最終的に答えが明らかな問題を出題することで「さすがに誰かが答える」という流れを作り、ルールの瑕疵を隠蔽している。
中盤以降は、徐々に難度を上げた読み上げ問題になっていく。
実は、収録時には「誰も答えられない」、高難度の問題がいくつも出題されている。(番組の流れとしてカット可能な場合は、だいたいカットされる)
問題の難度が上がることで、「自分だけが知っている」というシチュエーションが生まれ、早押しが苦手な回答者にもチャンスが回ってくる。結果として、回答者がバラけ、逆転が発生する。
運営
このゲームを「誰が」「どう」プレイすると盛り上がるのか。
一言で言うと、アタック25は真っ当な回答者が真っ当に競うと面白い。バラエティ番組的に、間違うことで面白いシチュエーションも発生しうるが、アタック25ではそれは重視されない。
予選会では筆記試験の結果が重視される。面接はあるが、テレビ映えする人の選抜ではなく、テレビに出せない人を回避するための足切りに過ぎない。
視聴者が期待しているのは、スポーツや競馬競輪の中継に近い。視聴者がどれかの回答者に感情移入できるように、電話によるトップ賞予想も行っている。
クイズに関するジャッジは厳密に行われる。司会の谷原氏は、回答の発声のあと、しっかりと手もとの回答を確認してから正解・不正解をコールする。(確認のための「間」はオンエア時にカットされている)
回答に対して物言いが付く場合もある。その際は出題担当のスタッフがクイズの回答に関して裏を取る。今回は10分に渡って収録が止まることがあった。収録が押すことよりも、フェアなゲームであることが尊重される。
クイズの実力だけでなく「適切にパネルを取る」ことも重視される。セオリー無視のパネルのとり方をしても視聴者が面白いと思える展開にはならない。
そのため、運営は回答者が適切なパネルの取り方をするように指導を行っている。出場が決まった回答者には、収録までにパネルの取り方を予習するよう依頼される。出場に関して郵送されてくる書類にはパネルのとり方の練習問題が入っている。また、収録の直前にもパネルの取り方についてのレクチャーがある。
パネル指定時に悩んだときには「待った」も可能である。この間、収録は止まる。コール後の取り消しは認められないため、少しでも迷いがあったら待ったをかけるよう指導される。
スタッフも司会の谷原氏も、とにかく回答者に優しく、緊張を解こうと配慮してくれる。回答者がとても大事にされていると感じた。素人の回答者が全力でゲームに取り組む姿そのものがこの番組の面白さであることを、スタッフ一同が理解している。
振り返ると、アタック25にはゲームの作り手として参考になる部分がたくさんあった。嘘がなく真面目な作りにも大変好感をおぼえた。流行り廃りのない王道を行くことが、長寿番組たるゆえんなのだろう。