薄々気づいていましたが、父は世間体やメンツを気にします。 はっきりとわかったのは高校の卒業式でした。 私は大学受験に成功し、希望していた医学部への進学を決めました。卒業式で答辞を読む役目も果たしました。 これまでは授業参観も学校行事もほとんど来ないか、来てもすぐ帰るような人だったのに、自分から先生たちに挨拶していました。 当時は何か引っ掛かるような、不思議な気持ちになりました。
こんにちは。きりこです。 私は今大学生ですが、中高生の時が1番幸せでした。きっと働いてみたらまた思いも変わるのでしょうが。 私ははっきり言って小学校の同級生たちとソリが合いませんでした。地方の小さな世界で親同士も同級生、高卒が当たり前、地方から出ることなく地方で一生を終える、そんな世界です。 1人だけ保育所が違ったので小学校入学時からの疎外感もありましたし、大学院まで進学しバリバリ働く母親も珍しく、母娘ともに馴染めませんでした。いわゆるママ友のいない母の姿を見るのは辛か
こんにちは。きりこです。 今回のお話は両親の生い立ちです。 子供から見るに、喧嘩の絶えない夫婦だったしうまくいってはいなかったと思います。なぜうまくいかなかったのかの根底にある問題について私の考えをまとめていきます。 そもそも、価値観が違いすぎた。 父方の祖父は早くに亡くなったのでおぼろげな記憶ですが、いかにもという感じのサラリーマンでした。父方の祖母は専業主婦でした。また、父には年の離れた弟がいますが、年が離れているため仲は良くも悪くもなさそうでした。亭主関白の家庭
おじいちゃんは弟がおぼれた年になくなりました。 もともと癌が見つかっていたのでいつかは…とみんなわかっていました。 おばあちゃんは同世代では珍しくバリバリのキャリアウーマンで、私が小学生の頃も働いており、おばあちゃんの家ではパートのおじいちゃんが家事をしたり私のお世話をしてくれていました。おじいちゃんとの思い出は楽しい思い出ばかりでとてもたくさんあります。今こうして大学生になった姿を見てほしかったです。 この、「祖父とのお別れ」も私の人生のターニングポイントで、祖父の死
きりこです。こんにちは。 いよいよ今回より回想録の本編スタートです。 私が中学生の時、小学生だった弟がおぼれました。 夏休みに親戚一同が集まっており、普段あまり外に遊びに連れて行ってもらえなかった私と弟をかわいそうに思ったのか、おじさんが海水浴場へ連れて行ってくれました。おじさん1人と私を含むいとこたち5人でいったので当然監視の目は足りなかったのです。ただ、そこについていくと言った大人は出発の時点でいませんでした。今考えると、いとこたちのなかで最年長であった私がもっとし
こんにちは。きりこです。 私の家族構成についてお話します。 両親、弟、私の4人家族です。今は母と弟が2人で暮らし、父は単身赴任、私は大学の近くで一人暮らしをしています。 実家は一軒家で、ここから歩いて5分ほどの距離に母方のおばあちゃんちがあります。おばあちゃんちには叔父夫婦と年下のいとこ2人が住んでいます。 父と母はばりばり働いていたため、小学生の頃は実家ではなくおばあちゃんちに帰っていました。おばあちゃんちでご飯を食べ、お風呂まで済ませて寝ているところを仕事帰りの母
こんにちは。きりこです。 私は親から精神的な虐待を受けていたのではないかと大学生になり感じるようになりました。これからの投稿は、そんな私の22年間の気持ちの整理をつける供養の場としていきたいです。 思うに、親は虐待しているつもりはなかったと思います。ただ、今考えると私にとってつらい日々が多かったです。子供のころの家と学校を往復する、親が絶対的に正しいと信じていた小さな世界ではこのような虐待には気づけません。 このnoteを読んでくれた子どもたちが虐待に気づき、自分の心を