解離性障害で人生のどん底に!そんな私が34歳で俳優になった理由とは?

2022年1月1日、キリケンという人間を多くの人に知ってもらえるよう、noteを始めることにした。

宣伝とかSNSとかいうのは大の苦手だが、俳優という人気商売をしている以上、世に認知してもらう努力の必要性を感じたためである。

ということで、初回は簡単な自己紹介をさせていただく。

私キリケンは、1985年生まれの36歳。
岩手県盛岡市出身で、現在も岩手在住だ。

俳優デビューは34歳で出演した短編映画、柴田啓佑監督作品「マルカン大食堂の贈り物」(2019年)である。

それ以前は何をやっていたかというと、20歳の時に解離性障害という精神障害を発症して以来、とても長くしんどい闘病生活を送っていた。

リストカット、オーバードーズ、暴力行為、発作による救急搬送、繰り返される入退院、などなど字面だけでもどん引きしてしまう出来事のオンパレードだった。

ひどい時には、入院中ベルトで体を縛られた。
突発的に起きる痙攣で、ベッドから転倒しないためである。

抗精神病薬の副作用で、体重が激増し風船のような体にもなった。
状態が芳しくないため、最終手段として電気ショック療法も検討されていた。

病気で私の若い20代は吹っ飛んでしまった。

さまざまな過程を経て、ようやっと症状が安定してきたのは30歳頃からである。
そして普通の生活に戻るため、ドラッグストアや図書館などで働いた。

しかし、どこでも体調を崩して2ヶ月ほどで退職。
仕事はうまくいったことが一度もなく、全滅だった。

それでも何とか社会に貢献したいという思いがあり、いろいろなことにチャレンジした。
東日本大震災の被災地でのボランティア、職業訓練、小説執筆。

広い世の中に一つくらいは私がはまる場所があるはずだ、という母の励ましを支えにして。

そして行きついたのが、ネットで見つけた映画のオーディションだった。
「報酬あり」という4文字に惹かれたのだ。

思い返せばなかなか変化球的アプローチである。
役者を志したこともない演技経験ゼロの人間が、ギャラ欲しさに映画に出ようとは。

とはいえ未知の領域に踏み込むのは怖かったし、結果も期待なんてしていなかった。

だが生きていると何が起こるかわからない。
予想外にも書類審査通過の通知がきたのだ。

絵に描いたような棒読み台詞を披露してしまったにもかかわらず、対面の二次審査も合格。
あれよあれよという間に撮影が始まって、突如私は「俳優さん」になってしまった。

この映画出演がそれまでの私の生き方の転換点となり、人生が思いもよらない方向に動き出したのである。

その後、地元のモデル事務所に所属が決まり、CMや広告に多数用いられ、全国規模の演劇オーディションにも二度合格。

2021年は吉祥寺シアターで、脚本家、映画監督、俳優である吉村元希さん作演出の「令和X年のハムレット」に亡霊役で出演させていただいた。


芸歴でいえば、まだたった2年3か月であるのに、もう数年が経過したような感覚だ。
それほど密度の高い日々だったのだと思う。

あの時オーディションに応募していなかったら、私は今どんな状態だっただろう。

ギリギリの線で溺れているところを救われ、ようやく自分を活かせるフィールドに辿り着いた気がする。

それにしても、ほんとに、遠回り、長かった。

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