雨が降る-受動的な思考回路
例えば予期せぬ雨が降ったとしよう。そして、傘をささなければパンツまで濡れてしまいそうな雨が降りそうな雲行きとなっているとしよう。仕事帰りのあなたは、今晩友人と食事の約束をしていて、時間的余裕はほとんど無いと仮定する。
問:あなたがこの状況下でとる行動は何か
答:傘を買う
意識的、無意識的の差はあれど、私達は「何かが起きる」と事前に知覚し、その事象に対して判断を行ってから行動を起こしている。この場合、事前に予測できなかった「雨」が発生したのを受けて、その現象から受ける被害を最小限にする選択肢である「傘を買う」を選択した。これは、脳で情報処理を行わない脊髄反射にもいえることである。脊髄反射はその名の通り、脳を介さず脊髄で情報を受理し、反射行動を出力する仕組みを指す。脳を介していないのだから別に判断をしているわけではないと思う人もいるだろう。しかし、脊髄反射はその生物に必要であった行動を極限まで効率化し、触れた情報をわざわざ脳まで運搬して処理はしなくとも、遺伝子の段階から反射を引き起こす要因を予測し、その現象に対する判断を生得的に行っていた、と考えることはできないだろうか。私達人間の思考回路・行動回路は遺伝子レベルで規定されているのだ。
では、人間ではなく「人工知能」は情報に対してどのような行動をとっているか。既存の人工知能はトップダウン型という型で、あくまで人間の知性を模倣したものであり、人間の知性そのものではない。そのため、例え予期せぬ雨が降ってそれへの反応として傘を買ったとしても、思考回路は人間のそれとは大きく異なる。繰り返しになるが、私達は「雨が降ったから」傘を買う。けれど、人工知能はそれだけではなく、「傘を買ったから雨が強くなった」と判断することがあるのである。しかもこの情報→結果の人間の視点からみると「誤った」判断は稀にではなく、ごく日常的に頻繁に起きているのが現実なのだ。確かに人間は傘を買う以前にその後を予測していたとはいえ、傘を買ったら雨が強まったというのは事実といえる。では何故「誤った判断」と私達は解釈してしまったのか。それは人工知能が人間とは全く異なる視点をもっているからだ。私達は他の動物と比較しても身体が成熟を迎えるのに長い年月を要する。しかし人工知能は半熟の状態で基底となる思考回路・行動回路を携えて生まれてくる。加えて、人間によって積まされた知識と経験のみが彼ら人工知能の知見、つまりは判断材料の全てなのだ。
このような情報処理格差は何も人間と機械との間だけに発生しているわけではない。奴隷は人間として扱われなかったから奴隷であったし、日本に技能実習生としてやってくる労働者は低コストで資本を生み出せるために、多少の人権が無視され、過酷な条件のもと働かされた。老人と若者が扱える科学技術の格差もそうだ。探せば例は無限に存在する。
「雨が降る」という現象だけをとっても存在が異なれば、思考も異なるし、時代が違えば、その現象への興味の度合いも異なる。人間は生物であり、生物は遺伝子に束縛されている。私達が真に他者理解を遂げる日は、現在の受動的な思考回路に改変が加わったときなのかもしれない。そう雨が降っているのをみて思った。