戸田市教育委員会の教育データ利活用における期待と課題
・はじめに
この前、こんな記事を書きました。
その後、いろんな方からのご意見もいただきつつ考えておりましたが、やっぱり教育データ論争はもうちょっと丁寧にやったほうがいいのでは、という結論になりつつあるので整理してとりあえずここに見解をまとめて雑文調に書いておきます。後で各方面にレクしたり、お手紙を出したり、論文にしたりするかもしれません。
結論から言うと、教育ツールとしてEdtech的なものを展開すること自体は良いと思うし、どんどん発展させて良いと思うんですが、バックグラウンドで動かす教育データの利活用という点では発展途上すぎて危険だなあという見解です。
今回、戸田市教育委員会ネタでは教育長の戸ヶ﨑勤さんのインタビューでシノドスで記事にもなり、また、東洋経済エデュでも話が出ていたうえ、教育データ利活用の有識者会議でも喋っておられました。
この4月から個人情報2,000個問題が解決され改正個人情報保護法で一本化されるところなのに「戸田市でできることは、ほとんどの自治体にはできるはずだ」と堂々と教育長が寝言を言ってしまうのは驚きですが、インタビューで「教育格差の分析でよく使われる保護者の学歴などの情報は、現時点では調べる優先度が低い」とまで言っていて、中では誰もこの人の言っていることはおかしいとはなってないのか不思議でなりません。保護者の学歴などのデータを利活用するのは目的外利用であって、不適切というより単に適法とは言い切れないからなんですが。
では、そもそも埼玉県戸田市はそこまで優れた成果を上げている公教育の仕組みを持っているのでしょうか。
まず、全国学力テストでの埼玉県の位置を見てみます。
全国学力学習状況調査(2022年)などでは、埼玉県全体で言えば、学力評価の基本となる小学校六年算数が全国9位タイと中学校三年数学が全国13位タイで、割と頑張っているほうなんじゃないでしょうか。
その埼玉県の中で、戸田市はどういうポジションなのかというとこちらになります。
埼玉県内40自治体中、小学校が四年生7位、五年生9位、六年生8位、中学校一年生6位、二年生6位、三年生7位と、教育データ云々以前から上位安定している感じです。健闘しているのは間違いないのですが、教育制度が良いから凄く伸びているのだというよりは、もともと学力に素養のある小学生がそのまま公教育に進学していることで順位が維持されているというニュアンスの結論で、おそらくは、教育制度の先進性が他の自治体との学習効果の差に大きな独立性を認めることはできないのではないかと思います。
他方、小中学校でのデジタル教科書やオンライン教育の普及率は100%で、しっかり投資はしている印象です。しかし、高等教育になると大学進学率が一気に平凡な数字になることを考えると、大学進学を目指すご家庭の子弟はかなりの割合が戸田市内の高校ではなくより大学進学率の高い高校に行くのでしょう。
その意味では、戸田市は初等中等教育で種まきはしっかりやり、先進的なことに取り組んでいるものの、成績伸長への直接の影響は軽微ではないかとも思います。これから効果が出るものがあるのかもしれませんが、少なくとも、2015年以降2021年度のデータを見る限りでは、戸田市による取り組みが功を奏して明確な効果が出ているとは言い難い状況にはあります。
・子どもの内面情報は取得しても決定に使ってはイカンのでは?
さて、そこまでして初等中等教育の情報化投資を戸田市教育委員会は進めていて、それはそれで偉いなと思いつつも、戸田市の教育委員会が出している教育データ利活用のガイドラインは抑制的なことも野心的な取り組みもいろいろ書いてあって面白いです。
https://www.city.toda.saitama.jp/uploaded/life/123270_258512_misc.pdf
例えば、冒頭のポツにちゃんと「内心の自由の保障等」が明記され、麹町中学校内申書事件で最高裁判所が示した判断を理解していると思しき記述があります(麹町中学校内申書事件 最高裁 昭63.7.15)。
また、外部アドバイザリーボードなるものが戸田市教育委員会では組成されていて、どこかで見た人たちもたくさん名前を連ねておりますが、そこでは議題の内容がQ&A方式で提示されています。
一連の議論で見る限り、戸田市教育委員会はいままで野心的な教育データ利活用プランで子どもの学力の向上に資する利活用を推進しようとしたものの、途中で校務データによる不登校などの見守り事業(児童福祉・こども家庭庁関連議論)や、謎のアンケートが行われる際の一次利用目的が分からないなどの議論経過をしています。
https://www.city.toda.saitama.jp/uploaded/life/123270_258505_misc.pdf
また、アドバイザリーボードにいる誰がこんなことを言ったのかは分かりませんが、明らかに不適切な小中高大で連続したデータベースの設置を検討している自治体(どこ?)の話があります。しかも、卒業後5年ないし文書管理規程の10年も教育データを保全することも検討、という話になっており、その誰かが子どもの卒業後10年の(個人特定したうえでの)追跡調査やコホート分析でもしたいんだろうなあと思うのですが、これはこれで教育データ利活用として不適切なだけでなく研究倫理の面からも問題があるのでやめましょう。
で、ここに出ている巷で噂の「AiGROW」という割と駄目な感じの内面追跡ツールが利用される前提になっていて、そこの業者のホームページで戸田市教育委員会の制作教育室の指導主事を名乗る山本典明さんという方が堂々と顔出しでインタビューに答えておられます。
「一般的な学力調査を『Ai GROW』にリプレース」したそうで、単に線形分析で使える学力調査ならまあいいんじゃないですかねと言ったところですが、気になるのは「非認知能力の育成」で「取組の効果検証に『Ai GROW』を活用し、児童・生徒のコンピテンシーの変化を計測」とか書いてあり、さらに「個別最適な学びを実現するためにも『Ai GROW』の測定結果が必要」で、「新しい視点での課題発見のために実証研究を進めていますが、ここでも『Ai GROW』で計測した非認知能力に関する数値を活用」とまで書いています。
ところが、ここでいう非認知能力とは紛うことなき子どもの心理状態や性格など内面情報そのものであって、要するに行動遺伝学で言うところのBig-5(OCEANモデル)であることはまず間違いありません。また、この「Ai GROW」のダッシュボードを見る限り、すでに「気質・コンピテンシー分析」の項目があって、一目見てこれは駄目だと誰も言わなかったのか不思議なぐらい、完全な子どもの内面に関するデータです。
アンケートを取り、子どもの心理的なコンピテンシーを客観的な基準を設けて仮名加工し統計量から事実関係を類推するのは構わないと思うのですが、それによって可能になることと言えば、何種類かの類型化された子どもの気質から指導方法のフィードバックを学校の現場に行って学習意欲の昂進に資するアプローチを取りますよ、というのがせいぜいではなかろうかと思います。逆に言うと、これらの仮名加工情報を統計量にしたとして、いったいどう使うつもりなのでしょうか?
これだけの話だと本当にどうにもならんというか、何をしたいのかが良く分からないのですが、これで内面情報を取って何らかの分析の結果で教育内容の決定でもしている場合、子どもや保護者の側から情報開示請求でも出たらどのように開示するつもりなのでしょう。保護者に対して、お宅のお子さんは神経症傾向が高い割に誠実性が低いので、ストレス耐性が低いと見込まれ、不登校の可能性が低くないと判断したので見守りの対象に決定していましたとか説明するんですか。
説明できない内面データをそもそも採るべきではないし、決定に浸かってはならないと思うんですが。
・内面情報を使うとして、その活用の方法にエビデンスがないのでは?
で、この内面情報を取ってどうするのかってのが良く分からず、いまのところ戸田市の中でも具体的にこのような形でコンピテンシーに関する情報を集めたところで学校の現場にフィードバックした後のことが書かれていません。やるからには何か根拠の一つもあれよと思うんですが、ないものはないんですよね。あれば教えてください。検証するので。
例えば、業者のサイトに追手門学院大手前中・高等学校の教諭・土谷啓介さんの利活用セミナーの概要が上がってました… が、コンピテンシーの計測結果と定期考査の成績との相関分析をしとるという話があるだけで、因果推論にまでにはもちろん至っていません。Big-5ではそもそも自律性(誠実性;Conscientiousness)が高いほど固有のFSIQ(全スケール知能指数)の因子通りに成績を叩き出すことは統計的に分かっており、これぞエビデンスなのですが、ここで言う「場面においても生徒とコンピテンシーを意識した対話を行」えることは理想としつつも人格に備わるある程度固有の性格的因子に対して改善を促すような働きかけができるのかというのはまだ良く分かっていません。ある意味で、Edtechにおける根拠は薄弱で、見る限り星占い以上の意味を持たせることは現段階では極めて困難というほかありません。
逆に言えば、教育の可能性は無限大でやんすという教条的なことも言えるんですが、人間とは遺伝子の乗り物に過ぎず、ある程度以上はその遺伝子の影響から逃れることができないため、その子どもの資質・能力を伸ばす目的でコンピテンシーを把握し活用しますといっても、どこまで可変なものかすら判然としません。出てきたデータ分析結果と教育手法による効果的だと立証できる改善手法との因果関係が分からず、おそらくどの教師もこのあたりのデータ活用は手探りのはずです。
で、業者のほうにそういうエビデンスになるものがあるのかと思ってサイトを見てみたのですが、少なくとも、公開されている論文を見る限りでは過渡的な問題意識を示す論述がまとまっている程度で、具体的にこのコンピテンシーのカテゴリーではこのような働きかけをすれば子どもの特性を育成できるというような内容には到底及んでいませんでした。要約すれば、これから頑張ります以上のものはありません。当たり前のことですが、人間の精神操縦そのものとなりケンブリッジアナリティカ問題の再来とも言え、教育分野で立証できれば人間の脳と意欲と行動と成果の関係を解き明かしたことになりノーベル賞ですので仕方ない面はありますけれども、他方で、せめて、二重盲検のようなものは少なくともやろうとしてほしかったというのはあります。今後に期待したいところです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/konpyutariyoukyouiku/48/0/48_64/_pdf/-char/ja
なもので、当然のことながらこれらの議論の先に、いまあるエビデンスを持って、子どもの資質・能力の向上ができるメソッドがあるわけではない以上は、課題発見を目的として子どもの内面を探るアンケートやデータ化されたテーブルを持って教育上の決定に資せしめることは、仮に子どもの学習権亢進を目的とする者であるとしても内面情報で決定を行う場合は明らかに違憲であると言えます。
・企業で使う人事(HRテクノロジー)との違い
さて、これらのGROWで語られているBig-5などのコンピテンシーモデルは、実証的な心理学モデルとして企業や軍隊、政府組織などの診断に使われることが多くあります。これらは人事(HR;ヒューマンリレーションズ)の中で使われる組織の構成員管理において社員などの構成員の適性判断に用いられるという点では合目的的です。
HRテクノロジーそのものは法的にも実務的にも相応に議論の蓄積のある分野で、実証例も豊富にありますが、これらのHRテクノロジーにおいて社員の適性を調べて人事査定や昇進などの決定に使われること自体は、判例上は労働諸法の範疇であって、(1)給与原資は減らさず、配分の仕方を改めるものであること、(2) 自己研鑽による職務遂行能力等の向上により昇格・昇給の機会平等が保証されていること、(3) 合理的な人事評価制度があること(成果・業績評価基準の明確化、評価手続き、不服申し立て手続き等)、(4) 激変緩和措置(調整給および減額制限等)といった労働諸法上の手当てがある前提となっています(ノイズ研究所事件 東京高裁 18.6.22 およびリオン事件 東京地裁立川支部 平29.2.9)。
つまりは、構成員の内面に関する情報を企業が利活用するのはもっぱらその利用目的が企業など組織全体の利益ほか目標を達成するために適切な労働資源分配と研鑽を進め円滑に達成することにあり、構成員の側もそれの利用によって透明性と納得性が担保されている場合はその組織の構成員である限りHRテクノロジーによる内面評価他人事情報を提供することに従属すると言えます。
詳しく知りたければ以下の本5章で倉重公太朗さんという西武ライオンズファンが書いた項目をご熟読ください。
翻って、子どもの教育の分野においてはそもそも学校と子どもとの間では権力勾配があり従属的な信認関係を前提としており、学校が「このアプリを使え」と言われたら子どもや保護者は原則として「おかのした」といって強制的に使わせられる前提となっている点において労働諸法のようには守られていません。また、起業であれば利益を、NPOであれば社会貢献を目的としており、この目的に見合った構成員への評価と待遇を透明かつ公平に行い非法に給与減額をしたり解雇したりすることはできない前提なのに対し、子どもの学習権は単に授業での評点に留まらず、風紀やスポーツ、芸事など多岐に渡る子どもの多様かつ健康で充実した生育を目的としている点において、子どもの内面を見ることの戒めはもちろん、得られた内面情報の利活用においても特に適切性・関係性(Relevancy)を求めなければならないのは言うまでもないことです。
このあたりの問題は、教育データ利活用の障害であると同時に起点でもあって、これらの問題を超えてきちんと教育データの利用推進をするためにきちんとしたエビデンスを積み上げなければなりません。企業におけるHRテクノロジーや医療情報のように、目的が明確であるデータの利活用とは異なるエビデンスの蓄積と法理論・実務を検討する必要があり、ここにおいて戸田市の公教育に通う子どもたちは決してモルモットではなく(戸田市教育委員会の人たちも真摯に教育を考えているのであって、決して実験台にしようなどと思って手がけているものではないことは良く分かっていますが)、もっと手前にある因果関係のところから実証を積み重ねて道を拓いていって欲しいというのが本音です。
・本人同意原則で大丈夫かの問題(自己情報コントロール権の是非)
HRテクノロジーの問題と並んで、重要なのが本人同意原則で良いのかという点です。
一年前、デジタル庁が教育データ利活用ロードマップを発表し、一部表現においてあたかも国が教育データを一元管理するかのような誤読をされて炎上して当時デジタル大臣だった牧島かれんさんが釈明会見に追い込まれるという事件もありましたが、本当にこのロードマップで問題となったのは本人同原則の部分です。
これはデジタル庁の取りまとめが悪いのではなく、そもそも2022年改正個人情報保護法においてなお、個人情報のコントローラー概念がなく、ある種の自己情報コントロール権に基づいた本人同意原則でしかデータの取り回しができないのではないかという実務上の問題にぶち当たっていたからです。
とはいえ、先のHRテクノロジーや医療情報においては、目的が明確であり、かつ概ねにおいて成人や後見人が個人データの利用を承認する原則があるのは現行法上はやむを得ない(彼我に知識の不均衡があるため、雇用契約やインフォームドコンセントで社員や患者が情報の利用を拒否できるだけの信認関係があるかどうかは微妙)とされますが、こと教育データにおいては幼保一体型の就学前施設からのデータや、学業・成績、さらには家庭環境に関するデータも一緒くたに利活用の対象となる教育データに含まれてしまいます。ここで小学校に上がる6歳児に自分の身体に関わるデータは恥ずかしいのでデータベースに入れないでくださいなどと拒否されることは想定されておらず、言われたとしてもそれが決まりであるからとそのままデータを格納してしまう実務運用になることは間違いありません。
また、今回の戸田市教育委員会の資料でもある通り、子どもの不登校対策のような子ども見守り事業において家庭での虐待の疑いや、不登校になりそうな子どもを予測することの不適切性に途中で気づいて方向転換をした節があります。これは、言うまでもなく子どもの不登校を予測することそのものが子どもにとって不適切で差別的な決定を下される恐れのある事象のひとつであり、いわゆる犯罪者データベースから導き出した犯罪を犯しそうな顔が歩いていたら予防的治安行為を行う不適切性とほぼ変わりません。間違いなくその変数に居住地域や親の所得、離婚など家族状況、兄弟の数などから不登校の可能性を導き出すことになりますし、何より「AiGROW」のような子どもの内面情報をBig-5に基づいて予測するのであれば、神経質傾向(情緒安定性;Neuroticism)が高い子どもはADHDやICD-10による疾患分類の割合が高く、固有のFSIQに関わらず不登校や引きこもりを起こす因子を持っています。
https://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-200/b-200_p2-11.pdf
しかしながら、これらの内面情報で神経質傾向があるからといって、ただちにトリガーとして不登校になるとは限らないうえ、健全な知的関心を持たせることで学究的才能を開花させることさえも確率としてはあり得ることも考えれば、子どもの将来はもちろん不登校の可能性診断さえも極めて慎重にに行わなければならないものなのではないかとも考えられます。繰り返しになりますが、犯罪者のデータが統計的に取れたからと言って、犯罪者特有の顔つきを分析で割り出し、これを元に街角のカメラで犯罪者予測をすることが違法であることと法理面では子どもの虐待・不登校予測と一ミリの変わらないのです。
これらの問題において、子どもの内面に関わるデータだけでなく、子どもの学習権の亢進には直接資さないデータの収集や分析は概ねにおいてデータの目的外使用となる虞があるのであって、内面情報を把握するためのアンケートでさえ一次目的を定めることが困難ではないかとも感じます。これを実施できるようにするためには、教育実践学的見地から新しい法律が一本必要になるのではないかとすら思います。
そして、これらの子どもに関する情報を取得することの可否は、学校との間での従属的な信認関係となっている子どもによる本人同意によって定められるというのは不適切と考えるほかありません。同時に、学校に持ち込む端末がBYODであったならばなお、学校や教育委員会のコントロールさえも及ばない利用規約承認が前提となる可能性も否定できません。
日本では子どもに関する情報を守る法律がなく、物事の判断がまだ充分につかず、また、本人固有の責任にも帰すことのできない子どもや家庭(保護者)が、学校とは本来関係のない家庭に関する情報の取り扱いについて本人同意原則で運用されてしまっていると考える場合は特に、教育サービスを提供するプラットフォーム事業者や教育ベンダーの不適切な子どもに関する情報の目的外使用を縛る仕組みが必要になるでしょう。
ましてや、戸田市教育委員会の企図するように10年間個人特定で追跡可能な(ハッシュの再計算ができる前提で)教育データ保持をするのであれば、例えば子どもの成績が急落した際のフラグで親の離婚がありましたとか、親が失業・健康を害しましたとか、古い因習の残る地域の出身でしたとか、学校生活において友人がおらずボッチでしたとか、お母さんの再婚相手から性的虐待を繰り返されていましたとか、当時は分からなかったものの後から思えば黒歴史的に他の人には知られたくない情報が公的データとして自治体に残ることの是非は議論しなければなりません。そこに、卒業後しばらく失業していて市民税をほとんど払っていませんでしたとか、高校卒業後28歳になっても結婚できず親と同居していますなどの将来の情報が連関されることが正しいことだと思うのかは、よく考える必要があります。
教育経済学では特に、教育による中長期的な影響を追跡調査で調べたいという動機を持つことも多く、学術的には私も興味津々ですし、適法な範囲内で、かつ研究倫理面でハードルを超えられるのであればどんどんやるべきだと思います。しかしながら、子どもによる本人同意で情報を取ってコホートをやるのは不適切の極みと言えます。やはり、教育委員会や学校単位の組織ごとに強制アンケートや卒業後5年(10年)を再計算で特定とか乱暴な方法ではなく、サンプルとなる個人個人を個別に承認を取ってちゃんと分析してねとしか言いようがありません。
それもこれも、本人同意原則に偏って法運用されてしまっているという観点からするといまの通説になっている自己情報コントロール権の弊害は明らかで、また、OECDガイドラインによる収集制限の原則だけでなく利用目的と関係性の原則にも充分な注意を払わないと未成年のデータを扱う世界では厳しいのではないかとも思います。自己情報コントロールとは言えども、個人個人が何の情報を取られてどのように分析されていたかをすべて知って統制するなどということはファンタジーであり現実的でないので、未成年による形だけの本人同意ではなく不適切なデータによる決定は公的に規制されなければならないでしょう。そういうことにならないために教育データの利活用の推進においては戸田市のような自治体が自制と根拠を持って子どものために動かなければならないのに、検討していることは利活用ありきであって、利用目的外の活用も含まれるだけでなく業者が特段の根拠もなくアンケートをやりコホートもやりますというのは、その概ねにおいて適切とは言えない、ということです。
・おわりに
科学技術の進展がこれだけ進み、society5.0やDX推進を旗頭にデータ利活用全盛の時代となった現在、学校においてのみICT技術の利用が進まないというのはよろしくなく、だからこそGIGAスクール構想で子ども一人一台端末を配りさまざまな利用局面で学習ログを取り教育データの分析をして現場にフィードバックするというのは大事なことです。
他方で、これらの教育データというのは本来子どもの勉学の状態だけを見るものではなく、むしろ学校も、教師もそのパフォーマンスがデータによって評価に晒される虞のあるものだという危機感が足りません。冒頭に書きましたが戸田市教育委員会がこれだけの先進性を豪語しながらも、埼玉県においてはもともと優れた子どもが通っていたうえでさしてランキングが上がったわけでもないことは明白です。紙と鉛筆と黒板で学ぶことはいまのご時世ではとても後進的ですが、しかし、こと学力においては、これらがデジタル化されたからといって、子どもの資質・能力は必ずしも有意に向上するものではないこともまた示唆されます。先進的なことは結構だし素晴らしいけど、必ずしも子どもの学習権向上に資するわけではないということは理解されるべきです。
同時に、子どもの人生においては、読者もそうであったように学校以外での勉学や行動で得られるものも大きな役割を果たします。友達との付き合いや家族との行動、自身で興味を持ったものを検索したり、学習塾や教育アプリを使うなどさまざまな局面で子どもは刺激を受け、変容していきます。すなわち、公教育で得られる教育データをいくら分析しても、実際には子どもの日々の活動においては特に暗数が大きい分だけそこだけ分析しても適切なフィードバックになるとはとても言えないのです。
下手をすると、公教育の現場よりも子どもに関する情報ははるかにGoogleやApple、Microsoftなどプラットフォーム事業者やリクルート、ベネッセ、内田洋行のような教育ベンダーのほうが持っている可能性があります。公教育のデータだけ縛っても無意味なのは、子どもの未来を決める情報は実は公教育の外にある可能性も考えたうえで制度設計をしなければならないことだろうと思います。
そして、学力テストやPISAにおいてもそうですが、なんだかんだ日本の公教育は教育の現場の人たちの奮励もあって、いまは世界有数の質的状況であると同時に、全人間力という観点ではトップレベルを維持しています。これが大学になって研究力の低迷や産業競争力の劣化という問題につながっていることを考えると、むしろ、問題は高等教育への接続や評価にあるような気がしてなりません。少子化で減っていく子どもたちにもっと多くの教育予算を捻出しつつ、より社会が富を生めて、他国との競争の中でも輝ける経済にし、誇りのある人生を歩めるよう、どう初等中等教育をリフォームするかは、きちんと根拠を持って検討を重ねる必要があるのではないでしょうか。