静 霧一 『星天に君は瞬く(下)』
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夕暮れが、少しづつ顔を沈め、だんだんと夜が迫る。
僕はその光景をたった一人、公園の芝生の上で眺めていた。
「なぁ、天城。お前はいったい―――」
ふと呟いた言葉が、白い息と混じり、冬の夜空へと消えていく。
その手には2冊の天城が残した日記が握られている。
赤い斜光がだんだんと細くなり、そして最後に眩く線を描いて地平線へと沈んでいった。
天城の実家を訪れた夜のこと、僕は夜通し、彼女の日記を一枚一枚丁寧に読んだ。
日記の初めのページは4月6日から始まっていた。
『20××年 4月5日(月)晴れ 今日は入学式!晴れて良かった!今日から私もJKだって(笑)香奈ちゃんとは別々のクラスになっちゃったけど友達できるかな……。少し不安だけどこれから3年間頑張る!(笑)』
B6サイズの日記の一ページには2日分の記録が書き込めるようになっており、3行ほどの短い文章が書き込まれている。
高校入学当時の不安は、僕にも手に取るように分かる。
天城とまったく同じことを僕は経験しており、それを思い出して思わず笑ってしまった。
そこから日記は、真面目に1日毎に欠かさず書かれている。
『20××年 6月11日(金)晴れ 体育祭めちゃくちゃ疲れた~!っていっても私は外から見てただけなんだけどね(笑)応援疲れってやつかな(笑)そうそう、いっつも教室の隅っこで本ばっかり読んでる小林君が陸上部だなってびっくりした!やっぱり人って見かけによらないんだね(笑)』
『20××年 8月2日(月)晴れ 今日は定期健診に行ってきた。ちょっとだけ不整脈が出てたけど大丈夫かなぁ……。でも心配してたって何も始まらないよね。明日は夏祭りだ!楽しみ』
『20××年 9月3日(金)くもり 今日は学園祭の出し物決めをした!お化け屋敷とか縁日とか色々でたけど、やっぱり私は喫茶店がいいかな!メイド服も着てみたい!学園祭、ちゃんと出れるといいなぁ』
『20××年 10月25日(土)晴れ 今日は学園祭だった!最高に楽しかった!途中、体がしんどくて抜け出しちゃったせいで後夜祭には出れなかったけどすごくよかったなぁ。他のクラスの男の子から声かけられるなんて思ってなかったから緊張しちゃった(笑)』
『20××年 11月30日(火)雨 最近、階段を上るだけで息苦しい。うちの学校にもエレベーターとかあるといいなぁ。私の体力がなくなっちゃったのかな』
『20××年 12月24日(金)雪 今日から冬休み!しかもクリスマスイヴ!香奈ちゃんは彼氏とデートだってさ!くそ、羨ましい!私も彼氏ほしい!(笑)お母さんから、クリスマスプレゼントに望遠鏡貰っちゃった!星ってすごく綺麗』
『20××年 2月21日(月)雨 不整脈が続いてるみたい。薬の数増えちゃった。飲みたくないなぁ』
『20××年 4月20日(水)くもり 気づいたら病院にいた。昨日の記憶があまりない。苦しくて、それから……分からないや』
『20××年 5月10日(火)晴れ 今日から学校に行ける!中間テストも近いし、遅れた授業分勉強しないと(泣)すごく疲れるなぁ』
『20××年 10月10日(月)くもり また入院になった。レントゲン取ったら心臓の血管が詰まってるんだって。手術しなきゃいけなくなっちゃった』
『20××年 12月24日(土)雨 まさか病室でクリスマスケーキ食べるなんて思ってもなかったよ(笑)ケーキって美味しいからいくらでも食べられるって思ってたけど、やっぱり一人だと、一切れでお腹一杯になっちゃうな……。去年貰った望遠鏡で見える星、すごく綺麗。私も星みたいになれるかな』
『20××年 3月10日(金)くもり 久々に学校に行けた。みんな私に優しいし、いろんな話を聞かせてくれた。私もあと何回学校に行けるんだろうなぁ。なんかそう思うとすごく寂しい。制服着て香奈と遊び行ったり、デートしたりしたかったなぁ』
次のページを開くと、すべて空欄になっていた。
残り10ページほどだというのに、そこには真っ白なページだけが存在している。
僕は1冊目の日記を読み終え、2冊目の日記を開く。
そこには、1冊目のような学校生活のことは書かれておらず、入院生活のことが書かれていた。
『20××年6月9日(金) 今日は体育祭だった。私は病室からリモートで観戦。昨日、心臓の精密検査をしたけど、孔っていうの?欠損孔って呼ぶらしいんだけど、少しだけ大きくなってるみたいなんだって。最近は酸素吸引してないといけないからちょっとだけつらいかも』
『20××年8月8日(火) 病室から見える入道雲がすごく綺麗だった。あの下はきっと大雨なんだろうな。夏なのに涼しい……』
『20××年9月12日(火) 疲れた』
そこから、日付が3日おき、5日おきとなっていく。
しかも、どの日記にもただ一言「疲れた」、「眠い」とだけしか書かれていない。
読んでいくうち、僕にだんだんと不安が蓄積していった。
そして、彼女の最後に残した日付までたどり着く。
『20××年12月24日(日) たすけt』
最後の文字が蛇行し、途中で線は途絶えていた。
この日、彼女は亡くなった。
天城の母から聞いた話では、彼女は東光町森の丘公園で倒れているところをたまたま散歩をしていた通行人に発見されたのだという。
彼女は時々、病室を抜け出して、望遠鏡片手に星を見ていたらしいのだが、その日も望遠鏡を持って、公園に訪れていた。
死因は、急性心筋梗塞であった。
青いレジャーシートの上に座り、温かなカフェオレ缶を自分の隣に2本並べる。
一本は自分の分。もう一本は天城の分。
時間は静かに過ぎていき、闇が深くなっていくほどに、夜空の星が顔を出しては、眩く輝き始める。
僕はスマホの明かりをつける。
そこには『12月24日 19:34』と表示されていた。
カフェオレ缶の蓋を開け、隣に置いた天城の分のカフェオレ缶に乾杯をする。
そして僕は、その中身を一気に飲み干した。
これが弔いになるのかどうかは分からないが、僕にとってはいまそれが精一杯であった。
天城に会いたい。
僕は、悲哀交じりのため息をつく。
気持ちを落ち着かせるために、望遠鏡を覗き込み、星を見る。
星はいつ見ても綺麗であった。
それは天城と過ごした数少ない思い出のように、眩く、尊い。
ふと、一筋の流れ星が夜空に流れる。
本当は3回のお願い事を唱えなければいけないはずなのに、上手く口が動かない。
僕の願い事が叶わないことは知っている。
それでも願いたいと思ってしまうのは、僕がわがままだからなのだろうか。
僕の瞳から、涙が零れ落ちた。
「何泣いてんの。ほら、流れ星だよ」
僕の真後ろから声がした。
「え?」っと僕がゆっくりと後ろを振り向くと、そこには天城がいた。
「―――天城?」
今視えているものは幻覚なのだろうか。それにしては輪郭が鮮明である。
「そうだよ。私以外誰がいるの?」
「だって、お前……」
僕の言葉が止まる。そしてぎゅっと日記を握りしめた。
「あ、日記見たのね。なんか恥ずかしい」
あっけらかんとした表情を天城は浮かべると、僕の隣によいしょと座った。
そして開いていないカフェオレ缶の蓋を開けると、それに口をつけた。
「私ね、ここで死んじゃったの」
天城は夜空の星を見上げながら呟いた。
「じゃあなんで……」
「多分、あなたが図書室で宇宙の本を見つけたからじゃないかな」
天城が首を傾げた。
「宇宙の本……?」
「うん。だって、あの図書室で宇宙の本借りたのって、多分私が最後だったと思うの。私がずっと死ぬまで借りてたからさ。私の残心っていうの?それがこびりついていたんだと思うの」
天城がおどけた表情で笑った。そして言葉を続ける。
「星ってさ、すごく遠くにあって、今この時点で消滅したとしても、その光は残り続けるんだよ。例えば、あのオリオン座のペテルギウスなんて640光年も離れてるから、もし今爆発して亡くなっても、その光がなくなるのを私たちが確認できるのは640年後なんだよね。多分そういうことなんだよ」
「多分そういうことってなんだよ」
「だーかーらー。私が死んでも、その光が本の中にこびりついてたってわけ。もう、理解しなさいよバカ」
天城の相変わらずのテンションに腹が立ったが、思わず僕の口から笑いが零れた。
その笑いにつられて、天城も笑いだす。
ふいにお互いの目が合うと、さきほどまでの笑いが止まり、僕に思わず緊張が走った。
「私ね、ずっと彼氏が欲しいって思っててさ。クリスマスの日に星が見れたらロマンチックだなって思ってったの。多分その思いが強すぎたのかな」
天城は照れ交じりに小さく笑う。それに対して「僕も同じだよ」と返した。
悴んだ指先がぬくもりを探し始め、僕は彼女の指をぎゅっと握った。
「ねぇ、桐谷くん」
「ん?」
「愛してる―――」
天城の言葉が僕の心に突き刺さる。
思わず胸が熱くなり、息が止まった。
クリスマスというのは、本当にずるい。
こんな臭い台詞でさえ、様になってしまう。
「僕も愛してる―――」
2人の間から、余計な言葉が消えていく。
そして、僕は天城と唇を重ねた。
「私の最初で最後の彼氏になってくれてありがとう。もうそろそろ行かなくちゃ」
天城の瞳から涙がこぼれた。
すると、彼女の体が白く眩く輝き始め、次第に輪郭がぼやけていく。
「待って!まだ行かないで!」
僕は大声で叫んだ。
必死に彼女の手を握ろうとするも、その手は彼女の体をすり抜けてしまう。
「桐谷くん、ありがとう。もう思い残すことは―――」
「ばかやろう!まだお前と行きたい場所いっぱいあるんだ!だから―――」
僕の叫び声が、虚しく響く。
彼女はその声を聴いて、微笑んでいた。
「ありがとう。愛してるよ」
最後に天城は笑った。
そして彼女は光の粒となって、夜空の遠くへと消えていった。
神様の悪戯は、優しくて、残酷だ。
僕は今更になって、彼女を本気で愛していたことを知った。
天城の笑った顔が瞼の裏に焼き付き、その姿に何度も手を伸ばす。
だが、それは星に手を伸ばすことと同じく、手に届かないものであった。
彼女にとってハッピーエンドでも、僕にとってはバッドエンドだ。こんな終わり方、あまりにも不公平じゃないか。
だから、僕は今こうやって小説を書いている。
神様を見返してやるんだ。
そう、僕は天城を今でも愛しているし、彼女を幸せにする使命がある。
僕を彼氏にしたぐらいで、幸せの絶頂になんてさせてやらない。
物語の中で、いろんなところに連れまわしてやる。
だからさ、僕のわがままにもう少しだけ付き合ってよ。
僕は、まだ君のこと愛してるんだから―――
『星天に君は瞬く』
おわり。
◆
あとがき。
長らくお付き合い頂き、ありがとうございました。
たまには、星を眺めるのもいいかもしれませんね。
私も素敵な写真を撮ってみたいものです。
写真を撮っていただき、ありがとうございました。
それでは。