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水冷に騒ぐ、夏の秘密基地。

「ねぇーってば!こっちおいでよ!」
夏帆が川の浅瀬で、僕と純也を呼んだ。

純也は「行こうぜ」と僕の手を引き、夏帆のいる浅瀬へと入っていった。
川の水が足首まで浸かり、ひやりとした感触が全身に伝う。
山彦のように蝉の声が反響し、風が吹くたびに木々についた緑色の葉が、ちらちらと揺れては太陽の白い光を反射させる。
それが川の水面に映り、きらきらと硝子のように白く眩く光っていた。

高校三年生の夏。12回目の僕らの夏休み。
そしてこの秩父の山奥は、僕らしかいない夏だけの秘密基地であった。

「ねぇ、気持ちいいでしょ?」
夏帆は僕に向けて笑う。
「まぁ……うん」
僕は言葉が見つからずに、ぎこちなく頷く。
「おいおい、元気ねぇな!ほれ!」
純也がはしゃぎながら、川の冷水を両手で掬い、ばしゃりと僕に向かってかける。
ひんやりとした水玉が熱くなった肌にぴとりと当たり、冷たさだけが沁み込んでいった。

僕はふと、夏帆の方を見る。
夏帆にも水がかかっていたようで、彼女も負けじと両手で水を掬い、純也に向けて水をかけた。
僕はその光景をぼんやりと眺めた。
デニムのショートパンツから伸びた彼女の白い脚は水を弾き、白い丸首のTシャツは水飛沫でところどころ透けている。
黒い下着の線がちらりと見え、僕は恥ずかしくなって思わず目を背けた。

「なぁに静かになってんの?ほら!」
夏帆は純也から僕の方に手を向け、水をかけた。
そして純也も、僕に向かって水をかけ始める。
もう服が水でぐしょぐしょだ。
こうなってしまえば、もうお互い様だ。
僕は2人めがけて、思い切り水を掬いかけた。

しばらく水を掛け合っていたが、さすがに体が冷えると僕らは川から出て、岸に置いていた手荷物の方まで歩いて行った。
僕と純也はその場で荷物の中の服をし、夏帆は手荷物を持ったまま、少し離れた木の陰まで歩いて行った。

「ったく、祥平。水かけすぎだぜ」
純也が笑いながら服の水を絞る。
「お前らがかけるからだ馬鹿」
僕も同じく服に水を同じく絞った。
着替え終わると、僕らは突っ立ったまま、何気なく川を眺めていた。

「なぁ、祥平。お前、本当に来年東京に行っちまうのか?」
「うん」
「そっか……少し寂しいな」
「この時期にはちゃんと帰ってくるよ」
「本当か?約束だぞ」
「うん、約束だ」
僕は純也と固く手を握り合った。

僕は今年、受験生だ。
この山奥から抜け出したくて、東京の大学に行きたいと、今必死に受験勉強をしている。
毎年のように夏が来るたびに、僕らはこの山奥の秘密基地に集まっていたが、来年はもうわからない。
純也は実家の稼業である地元の建築屋に就職し、夏帆はデザイナーになるために上京する。
僕らは、それぞれの夢に向かって歩き出すのだ。
それは純也もわかっているはずだ。
それでも、僕はこれが最後だなんて思いたくなくて、純也と約束だといって手を握った。

「なになにー、男だけの友情ってやつ?」
夏帆がにやにやしながらいつの間にか僕らの後ろに立っていた。
「うるせえ!お前には関係ねぇだろ!」
純也が照れながら、夏帆に威嚇する。
お互いはにらみ合いながら、ああだのこうだのと文句を言い合いながら来た道を歩いていく。

夏帆と純也が並んで歩く後に僕が続く。
なんだか、胸が少しだけ苦しくなった。

純也が夏帆を好きなのは知っている。
1年前、僕は純也の親友として、それを告白された。
僕はただ「お似合いだよ」といい、純也を応援した。
僕は嘘つきだ。
純也にも僕自身にも嘘をついている。
東京の大学に行くのも、そんな嘘から逃げたいためだ。
きっと、この秘密基地で集まるのも、これが最後だ。
これ以上、僕は僕の嘘に耐えられない。

「祥平、元気ないけど大丈夫?」
夏帆が突然立ち止まり、僕のもとへと駆け寄った。
「あぁ……うん。大丈夫、身体が冷えただけだから」
僕は夏帆から顔を背ける。
「ふーん……そっかぁ」
夏帆はそれだけ呟くと、僕の隣を無言で歩いた。
ふと、前を見る。
そこには一人で歩く純也の後姿があった。
僕はなぜだか申し訳なくなって、ぐっと親指を握り、拳を作った。

川の流れるせせらぎが、僕らの無言を柔くする。
時折、僕の左手が揺れるたびに、夏帆の手の甲と当たる。
振り子時計のように当たっては避け、当たっては避けを繰り返していた。

ちらりと、僕は夏帆の方を見る。
すると、夏帆もたまたま僕の方を見ていたのか、視線が合ってしまい、恥ずかしくなってお互いすぐに視線を外した。

冷え切った身体に熱が戻る。
その熱が、僕の嘘を溶かしていく。

僕はまたちらりと、夏帆を見た。
その横顔はあまりにも綺麗で、美しい。
あぁ、僕は夏帆が好きなんだ。

もう一度、夏帆の手が触れ合う。
僕はこの手を離したくはなかった。
もう嘘はつけない。
嘘をつくのは苦しいから―――

僕は人差し指を、夏帆の指に絡ませる。
夏帆は拒むことなく、僕と人差し指を繋いだ。

ひとときの夏が、終わりを告げる。
心地よい夏の風が、僕の背中を優しく撫でたような気がした。

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静 霧一/小説
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