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おじさんの書く描く鹿々

「あ、鹿おじさんだ」

とある少年が私を指差し笑った。
その隣にいる友達らしき少年は、首を傾げながら「鹿おじさんって?」と少年に聞いていた。
少年曰く、「毎日この公園で鹿を描いてるおじさんだから“鹿おじさん“って言うんだ」というものらしい。

私はいつしか「鹿おじさん」と呼ばれる存在になっていた。
かれこれ、この公園で鹿を描くこと30年余りが経過していた。
なぜ鹿を描いているのかと聞かれれば、「目の前に鹿がいるから」という、芸の欠けらもないつまらない答えで返すだろう。
私が鹿を描くというのは、脊髄反射にも近い行為なのだ。

なぜそんなに取り憑かれたように鹿を描くのか。
私は最初から鹿に恋焦がれていたわけではない。鹿を描くに至るきっかけというものがあるのだ。

私がまだ、二十歳の頃に遡る。
藝大に通っていた私は、一丁前に芸術家だといって、昼間から酒をのみ、ギャンブルに入り浸り、空っぽの財布片手に公園をぶらついていた。
平日の公園は静かとよくいうが、この公園は違う。
鹿が賑わっているのだ。
そんな鹿の賑わいにつられ、どこからともなく物珍しい都会の観光客が湧き出してくるのだ。

あぁ、いやだいやだ。
金のある子供を見ただけで吐き気がしそうだ。
私は怪訝な目で、その観光客の子供たちをみていると、片手になにかをぶら下げていた。
無造作にポリ袋に入れられたそれは、どうやら鹿せんべいのようであった。

鹿せんべい。
ただの味気ないせんべいが、鹿が食うってだけで飛ぶように売れていく。
あの一袋で、うどん一杯は食えるだろう。
いっそ、芸術家などやめてせんべい売りにでもなってやろうか。

そんな捻くれた考えは今に始まったことではないが、結局のところ、めんどくさいの一言で済ませてしまい、何一つ成し遂げたことがない。
斜に構えているのが自分らしさだと、勘違いしていたあの頃は、なんとまぁ青かったことだろうか。

鹿せんべいはまさしく鹿にくれてやるものだ。
自分自身で食べようと買うやつがいたら、そいつには間違いなく近づかない方がいい。イカれているに違いないからだ。

観光客がそっと鹿にせんべいを近づけると、くんくんと匂いを嗅ぎ、鹿は観光客からせんべいを毟り取った。
そして歯を横にもしゃもしゃと揺らしながら、ごくりとせんべいを飲み込むと、もう一枚とせんべいを集る。

なんたる傍若無人ぶりだろうか。
あんな可愛らしい躯体と顔をしながら、自分の好物を差し出す人間には、その手からせんべいが無くなるまで集り、差し出せなくなったと思えば、愛嬌を振りまくのをやめ、また次の人間を探す。

私はそんな鹿の姿に、尊敬の念を抱いた。

なにせ、私がそんな態度を取ろうものなら、人との縁は切れ、金の縁も切れ、野垂れ死ぬに決まっているからだ。
酒もほどほど、ギャンブルもほどほどの、底の見え透いた芸術家と自分自身も分かっている。
そんな私も、生きねばならぬ。
やりたくもない皿洗いをし、書きたくもない絵を売り、少しばかりの日銭を稼がねばならぬのだ。
そんな私のちっぽけが馬鹿に思えるほどに、鹿は着の身着のままわがまま勝手であった。

その時からだ。私がこの公園で鹿の絵を描き続けているのは。

鹿の絵は高値では売れやしないものの、観光客には高い人気があって、意外にも買い手はついている。
日銭稼ぎには変わりないが、うどん一杯で苦悩する収入ではなくなったし、鹿せんべい売りになろうとは今は思わない。
わがままを言えば、この鹿の絵に数千万の値がついて欲しいが、きっとそんな大金があったところで、私は鹿の絵を描き続けているだろう。
それを思えば、私の死後、誰かがこの鹿の絵に箔をつけてくれるほうがよっぽど嬉しいものだ。

今はこの平穏の中を、鹿と共に生きていたい。

私は鹿を描き終え、ふうを鼻から息を漏らす。
そして鞄から鹿せんべいを取り出し、むしゃりと齧った。
私と目の合った鹿が、にやりと笑った気がした。

おわり。

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静 霧一/小説
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