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静 霧一 『星天に君は瞬く(上)』

 
 どうして人は星に惹かれるのだろうか。
 僕は夜空に瞬く星に、指をさしながら一つ一つ数えていく。
 地球から見る星の光というのは、永遠に思いを馳せさせるほどに、儚く、眩しい。

 人は星を見ることができても、それに触れることはできない。
 きっと、手に入れることのできない幻想のような美しさが魔性であるからこそ、いつの時代も、人は夜空に瞬く星に惹かれてしまうのだろう。

 そして僕も今、星に惹かれている。
 ふと、夜空に流れ星が一筋流れた。
 曲線を描きながら飛んでいく様は、さながら神の一筆のようであった。
 お願い事とやらを3回唱えなければいけないのかもしれないが、僕はそんなことはせず、流れ星の跡を指でなぞった。

 本当は、天城に会いたいと願うべきであった。
 だが、もうそれは叶わぬことだと僕は知っている。
 だからこそ、僕は流れ星に願い事なんてしなかった。
 もし、願ってしまえば、自らに事実の刃先を突き付けるだけで、ただただ僕の心が痛むだけであることを知っていたからだ。
 僕は、瞳に移る彼女の残像に手を伸ばした。

「君は星になってしまったんだね」
 ふわりと宙に浮かぶ確かな事実が、僕の喉を突き刺す。
 ちくりとした痛みに、少しばかりの悲しみを覚えた。

 ◆

 運命の出会いというのは、求めようと思ったら遠ざかり、手放したら急に現れたりもする。
 だが、僕の場合はあまりにもそれが唐突すぎた。

 僕はその日、高校の誰もいない図書館の端っこで、小説を書くための材料を探していた。
 本棚を順々に見ていき、お目当ての本棚に行き着く。
「宇宙」と書かれた小さな紙の柵がそこには挟まっており、その後ろには天体や宇宙についての図鑑やら書籍やらが5~6冊並んでいた。
 僕はそこの本棚の本を丸ごと抜き出すと、それを机の上に並べ、中身を精査し始めた。誰も手に取っていなかったせいか、本の上部には少しばかり薄い埃が被っており、僕はたまらず咳こんだ。

 もともと、宇宙やら天体やら星に興味があったわけではない。
 なぜ僕が、こんなにも熱心に宇宙の本を探しているかというと、先日の17歳の誕生日に父からプレゼントで天体望遠鏡を貰ってしまったからだ。
 もともと父は星を眺めるのが好きらしく、父の部屋には白い天体望遠鏡が置いてあった。
 父が宇宙に興味を持ち出したのも、17歳の頃らしく、父の父から同じく天体望遠鏡を買ってもらったという経緯から、僕のもとに天体望遠鏡が届いたわけだ。

 だが、僕は父とは違い、最初から興味があるわけではなかった。
 ただ、趣味で書いている小説のネタにはなるという気持ちで、今こうして宇宙に興味を持っている。
 結果としては同じという事実に、血は争えないということを僕は感じた。

 宇宙に関しての書籍は実にピンキリである。
 ピンキリという言葉が当てはまるかどうかは実に微妙なところであるが、文字ばかりで難しい専門用語が並べ立てられている本と、図解やカラー写真で実に分かりやすいものの2つしか存在していなかった。

 僕は当然、図解の載る本を選んだ。
 2冊ほどの本を抱え、貸出コーナーにいる司書のもとへと行く。
 本を司書に渡そうとする直前、後ろから一冊の本がドンと上に乗っけられた。
 その本は、僕が先ほど避けたはずの、専門用語ばかりが書かれた天体と星についての本であった。
 僕は一瞬の硬直ののち、後ろを振り向くと、そこには見知らぬ女生徒が後ろに立っていた。

「こっちのほうが面白いからこっち読みなさい」
 彼女は僕の意見など聞こうともせず、その本を押し付けた。
「え、あ、いや、え?」
 僕は盛大に戸惑う。
 そんなに女子と仲良くもなかったため、何を口にすればいいのかと僕の思考がごちゃごちゃに絡まってしまい、結局僕は彼女からその本を受け取り、借りることにしてしまった。

 彼女はいったい何者だったんだろうか。
 僕が貸し出しの処理をしてもらっている間に、彼女はさっさと図書館を出て行ってしまった。
 名前も分からないし、何年生なのかも分からない。
 夕暮れの帰り道、僕の頭は彼女のことでいっぱいになっていた。
 無意識というのは怖いもので、気付けば徒歩20分の帰路を歩ききっていた。

 玄関に鍵を差し込み、ガチャリとドアノブを捻った。
「ただいま」
 寂しい言葉が、家の中に木霊する。
 僕は冷たい廊下を歩き、ギシギシと音を立てながら、2階へと続く階段を登った。

 2階には3つの部屋があり、僕の自室は南側の角部屋になる。
 僕はまっすぐ自室へと向かうと、制服姿のままベッドに横になった。
 疲れのせいなのか、少しだけ眠い。
 仕事から両親が帰ってくるまで少しだけ時間がある。
 僕は重くなっていく瞼に抗うことをやめ、深い夢の中へと落ちていった。

 目が覚めると、時刻は夜の9時を回っていた。
 さすがに寝すぎたと思い、1階に降りると、すでに母がリビングのソファーでお酒を飲みながらドラマを見始めていた。

「あ、おはよう。夜ご飯、テーブルの上に置いてあるから適当に食べて」
 母は僕の顔をちらり見て、用件だけ言うと、またドラマに目を戻した。
 テーブルの上を見ると、そこには白いお皿の上に千切りキャベツとアジフライが2匹乗っているものが、ラップのかかった状態で置いてあった。

 作られてから結構時間が経ってしまっていたせいか冷たくなっていたため、それを電子レンジの中へと放り込み、温めボタンを押した。
 その間、僕はもう一度自室へと戻り、今日借りた本を食卓へと持ってきた。

 温めたアジフライを頬張りながら、パラパラと本を眺めていく。
 図解だからわかりやすいとばかり思っていたが、やはり文章は少しだけ小難しく書かれており、これを小説のネタにするのは非常に難しい。
 僕はため息をつきながら、最後の本に手を取った。

 それは、文字ばかりのなんとも退屈な本であったが、名前も知らぬ彼女に突き付けられてしまったがために、目を通しておいたほうがいいかなという、僕の生真面目すぎる性格がその本の文字を無理やり頭に押し込んでいった。

 だが、それも長続きはせず、結局パラパラと僕はページを捲る。
 全てのページを捲り終え裏表紙を見ると、そこには小さな貸し出しカードが張り付けられていた。
 埃を被るぐらいなので、この本を借りる人などめったにいない。
 縁が少しだけよれた貸し出しカードには、今日の日付と僕の名前が書いてある。
 だがそれは2番目の欄に書かれており、1番目にすでに借りたことのある人の名前が書いてあった。

「天城 芽衣子」
 その欄には、擦れた文字でそう書いてあった。

 ◆

「天城 芽衣子?そんな名前の生徒はこの学年にいないぞ」
 担任の村上は首を横に振った。
「他の学年にはどうですか?」と再度尋ねてみても、やはり答えは「知らない」の一点張りであった。

 先生は嘘をついているわけではない。
「天城」なんて苗字はそういるものでもなく、日本の中でも珍しい部類の苗字だ。
 そんな苗字の生徒がいれば、いやでも覚えてしまうだろう。
 だが、僕が見たのは間違いなくここの生徒であった。
 確証はないが、ここの生徒の制服をきていたのだから間違いはない。
 部外者がわざわざうちの高校の制服を着て、図書館に来るなど、とてもじゃないが信じられない。

 では、一体「天城」とは誰なのだろうか。
 もしかしたら、あの女の子の苗字は天城ではないのかもしれないし、同一の本を別の図書館で読んだことがあって、それを僕に進めた可能性だってある。
 きっとそうだ。そうに違いない。
 たまたま僕の本を借りる場面に遭遇しただけなのだろう。

 僕はその日から、注意深く生徒を観察するようになった。
 普段は2年生の僕は、当然勝手に1年生と3年生の教室に行けるわけでもないので、ただひたすらお昼休みなどに校舎をうろちょろしながら観察し、意味もなく放課後に図書館に行ったりもした。

 だが、彼女に会うことはできずに、あっという間に1ヶ月が過ぎた。
 もはや、自分の精神も擦り減らしてしまい、とうとう僕は観察をやめた。

 観察をやめた金曜日の夜のこと。
 僕は望遠鏡を片手に、『東光町森の丘公園』へと行った。
 この公園は、なだらかな丘の上にある公園であり、ここから東光町の景色が一望できると、地元民しか知らない夜景スポットとなっていた。

 僕は芝生の上にレジャーシートを引き、小型望遠鏡を設置する。
 悴んだ手にポケットカイロを握りしめながら、小さなレンズから夜空を覗いた。
 砂時計の形をしたオリオン座のちょうど下半分の位置にレンズを向ける。
 そこには小さな3連並んだ小三ツ星があり、すこしづつ倍率を上げていった。
 この星はM42、M43と呼ばれる星で、そこにはオリオン座大星雲が佇んでいる。

 赤い蝶が大きく羽を広げた美しい様に、僕は思わず息を飲んだ。
 こんなにも美しいものがある夜空を、僕はなぜ気づきもせずに素通りし続けていたのだろうか。

 もう何分もレンズに瞳を付け続けている。
 ふいに、僕は肩をポンポンと叩かれた。
 だが、そんなことは気にもせず星を見続けていると、耳元で「ねぇってば」という女性の声がし、僕は思わず驚いた。
 レンズから目を離し、後ろを振り向くと、そこには図書館で見た女の子がいた。

「久しぶりね、桐谷くん」
「あ、天城さん……?」
 長い黒髪に、サファイアのような青い瞳。
 制服姿の彼女はにっこりと笑い、僕の目を見つめた。
 突然の再会に、僕は戸惑った。
 話す言葉が見つからないとあたふたしていると、彼女は僕をどかし、望遠鏡を覗いた。

「オリオン座大星雲っていつみても綺麗ね」
 その声は、とても柔らかく、そして遠くの何かを慈しむようなものであった。
「天城さんは星が好きなの?」
 僕はようやく捻りだした言葉を投げかける。
「うん」
 彼女は一言だけ、答えた。

 澄んだ空気が、僕らに冬の温度を運ぶ。
 ふと、僕は夜空を見上げる。
 そこには、一筋の流れ星が見えたような気がした。

 ◆

「桐谷くん!これ見て!」
 小高く上がった丘の斜面に広がる草原に設置した小型望遠鏡を込みながら、天城が僕を呼んだ。
 1月の寒い冬空の下、僕は凍える体をゆっくりと動かし天城のもとへと向かう。

「なにが見えたの?」
「綺麗な青い星群が見える!」
 天城は興奮気味に答え、あいも変わらず小さな体を丸め込み、その青い瞳で望遠鏡を覗いている。

「僕に変わってくれてもいいんじゃないか?」
 天城の言う青い星群が気になるが、彼女はかれこれ一時間も夜空の星に釘付けになっているものだから、僕もいい加減暇を持て余してしまった。
「もう少し、もう少しだけ!」
 なにがあと少しなのかはわからないが、天城は僕が顔を近づけると、望遠鏡を取られぬよう近づけた僕の顔を手で払った。

 僕はその行動に拗ねてしまい、斜面の上にあるベンチにまで登り、ゆっくりと腰を掛けた。
 このベンチから見える景色は雄大で、街の景色を一望できる。
 街は白やオレンジの街灯が煌びやかに照らされ、その上にはポツポツと白い星々が夜空の黒に小さな穴を開けたような光を灯している。
 それはまるで、宇宙の白色の光がこの地球に漏れ出しているかのようにも思えた。
 その幻想的な景色に吐息をもらすと、ふわりと白い息が立ち上り、風と共に消えていった。

 天城と再会を果たして、一週間が経っていた。
 僕と天城はまたここで会おうと約束をし、今こうして東光町森の丘公園で天体観測を行っている。
 彼女が僕の前に現わられる時は、決まって高校制服の姿であった。
 そのことから同じ高校に在籍はしているというのはわかったものの、話を聞いてみると、肝心の彼女は通学はしていなかった。

 どうも持病が原因で、リモートで授業を行っているらしいのだが、そこらへんは変にはぐらかされ、それが本当なのかどうなのかという真偽を確かめる術はない。
 きっと詮索なんてしたら、彼女と会えなくなってしまうんじゃないかという怖さもあり、僕はそれ以上深入りをすることはなかった。

 望遠鏡をまじまじと覗き込む、天城の後姿に思わず、心の奥底がくすぐられる。
 なんでだろう。僕は思わず俯いた。
 夜が更けるにつれ気温が少しづつ下がっていく。
 僕はベンチのすぐ横の赤い自販機に目をやると、小銭入れを取り出し、暖を取るために甘ったるいカフェオレの缶を二つ買った。
 缶の落ちるガコンという音がやけに響き渡るほど、あたりは静寂に包まれていた。
 僕はそのまま温かいカフェオレを携え、天城のもとへと行った。

「飲む?」
「うん!」
「じゃあ一旦その望遠鏡から目を離せ」
「いやだ!」
「じゃあこれは僕が飲もうかな」
「それはダメ!」
 天城はすぐさま望遠鏡から目を離し、僕の右手に持ったカフェオレを奪い取った。
 やれやれと思いながら、僕らは一緒にそのカフェオレ缶の蓋を開ける。
 カコンという音とともに、その飲み口からは白い湯気が立ち上り始めた。
 その甘い湯気に誘われるように、僕らは缶に口をつけ、寒い夜空の下で温かい至福を味わった。

「なぁ、天城」
「なに?」
「なんでそんなに星が好きなんだ?」
 僕は今更ながら、そんな質問をした。
「星はいつ見ても綺麗だし、なんかロマンチックじゃない?」
 美しいという言葉は、果たして幻想的な光のことなのか、周期性の動きのことなのか、はたまた未知の宇宙への探求心なのか、今の僕にはそれを知る由はなかった。
 そんなことを考えていると、僕たちのお腹がぐうという情けない音を上げはじめ、もはや空腹が頭の中を支配していた。

「なぁ、飯食い行かない?」
「いいね!食べたい!」
「じゃあラーメンでも食べ行くか!」
 僕はそう意気込むと、天城を自転車の後ろに乗せ、市街地へと駆けていった。

 ◆

「なぁ、桐谷。本当に天城に会ったのか?」
「はい。先週の金曜日にも会ってますよ。一緒にラーメン食べてますし」
「うーん……」
 村上は困ったような顔をした。

「どうしたんですか?」
「あ、いや、なんでもない。また天城に会ったら教えてくれ」
「は、はい」
 僕は村上の考え込むような様子に、少し違和感を覚えたが、それを確かめることはできずに、その日の学校生活を終えた。

 今日はどんよりとした水曜日である。
 天城とは、観測の一週間後である金曜日に、また同じ公園で会おうと約束はしているが、週間天気予報をみると、その日は曇りのうち雨という予報になっていた。

 一抹の不安を抱えながら、僕は家へと帰宅する。
 そして、新たに図書室から借りた宇宙についての本を読みこんだ。
 もともと僕は本を読むのが、得意というわけではない。
 だけれども、僕がこうして一生懸命に苦手な本を読んでいるのは、初心な下心が芽生えてしまったせいであった。
 星を知りたいという好奇心もあるが、多くの割合を占めているのは天城ともっと話したいという欲求からだ。

 難しい本を読みながら、僕は彼女を思い浮かべた。
 手を伸ばせば届きそうなのに、決して届くことはない。
 それはさながら、窓の外に見える、ペテルギウスの赤き瞬きのようであった。

 時間はあっという間に流れていき、週の最後である金曜日の授業が終わると、僕は学校から急いで帰宅した。
 天気は曇りで、未だ雨は降っていない。
 例え星が見えなくても、一目彼女に会いたい。
 その一心で、僕は天体観測の身支度を整えた。
 僕は彼女に会いたいという焦燥感に煽られていたせいか、約束の1時間前である19時に到着してしまった。

 12月の夜は、当然この時間は日が沈んでいるために、この真っ暗な公園には寂しく外灯の光が灯るだけで、虫の音だけが木霊する静寂に包まれていた。
 30分は経っただろうか。
 僕はそわそわとし始め、いてもたってもいられなくなる。
 もうすでに甘ったるいカフェオレを2缶も開けてしまっていた。
 悴む手を擦り合わせながら、天城が僕の目の前に現れるのを待ち続けた。
 その間、今日は彼女とどんな話をしようかということで、僕の頭の中はいっぱいになっていた。

 ふと、手の甲に冷たい感触を感じた。
 予報していた雨が降ってきたのだ。
 それはぽつぽつと数が次第に増えていき、僕の服にまでシミを作っていく。
 僕は折り畳み傘を差して、ベンチから腰を上げ、自動販売機の横で待ち続けた。

 すでに約束の20時を過ぎている。
 だが、彼女は現れることはなかった。
 僕の胸の中に、彼女と会えなかった脱力感と約束を裏切られたという苛立ちが湧き出し、思わず自動販売機の側面を拳で殴った。
 ドンという鈍い音がし、遅れて、僕の拳骨に痛みが走る。

 自分の情けなさにため息をついた。
 僕だってこんな器量の狭い男になってなりたくはなかった。
 約束の一回や二回違えたぐらいで怒るような男にはなりたくなかったが、どうしても、期待していた分、その喪失感というのは計り知れない悲しみを生んだ。

 雨脚はだんだんと強まっていき、地面に雨が跳ね返っては、僕の足元を濡らしていく。
 20時30分になったところで、僕の諦めもつき、一歩足を踏み出した。

「ま、待って……!」
 後ろからか細い声が聞こえた。
 雨音にかき消えてしまいそうなほどに、細く、か弱い声。
 僕は思わず後ろを振り返った。

 そこには傘を差さずに、息を切らしながらずぶ濡れになっている彼女の姿があった。

(つづく)



あとがき。
ヘッダーにもなっている星天の写真より、こちらの作品を執筆させて頂きました。
後編の更新は2/22(月)を予定しております。

撮影者:瑞希 さん


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静 霧一/小説
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