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黒山羊のハロウィン

「あ、死んだわ」
死ぬ直前の声というのは、もっと逼迫して、到底人間の出せるものではない断末魔みたいなものなのかと思っていたが、案外俺の口からは呆けた声しか出なかった。

これは俺に限った話ではないと思う。
ほんの数秒前までは、「晩飯どうするかなぁ」とか「クレカの引き落としきついな」とか「横の女の子の脚綺麗だな」とか、そんなシュレッダーされた散り散りの紙屑みたいなことを考えていたが、不意に死が迫った直前になって咄嗟にその思考を切り替えられるかといえば、そんなはずはない。
そもそも、そんな器用に思考が切り替えられるなら、とっくに悠々自適な生活を送っているだろう。
死ぬ間際であっても、緩んだネジが締まることはない。

俺がこんな線路の上で呆けているのも、全部ハロウィンのせいだ。

ハロウィンの夜は人でごった返していた。
そんな人の波に押し出された俺は、ホームから線路に転落したのだ。
俺を押し出したやつはわかっている。露出の多い、中途半端な魔女の格好をした女だ。
仕事帰りで油断していた俺も悪い。だが、なんで俺の生殺与奪が、あんな馬鹿げた格好をしたやつに決められなきゃならなかったのだろうか。
それに良くみりゃ、自分が突き落としたことに、薄々気づいてるじゃねぇか。

それにしても、電車って汚いんだな。
目の前で電車を見たのは、小学生の頃以来だろうか。
そんなことを考えていたら、俺の視界は真っ暗になった。

俺が目を覚ましたのは、渋谷のスクランブル交差点のど真ん中だった。
なぜこんなところで寝ていたのか、俺にはさっぱり理解できていなかった。
電車に引かれた後の記憶も曖昧だし、身体は普段通りピンピンとしてる。
俺自身に変わりはないが、周りといえばお祭り騒ぎの様相だ。

DJポリスがスピーカー越しに韻の踏んで、それに呼応し、人の波は縦横無尽に揺れている。
スーツを着た人、コスプレした人、私服を着ている人、半裸の人。
こんなに多種類な人間が一斉に介することなど、ハロウィン以外ではありえないだろう。

俺といえば、スーツ姿のまんまだ。
信号が青になり、人の大群が押し寄せ、俺はその波に飲まれながら渋谷センター街へと流されていった。

臭い。
これは酒か?ゲロか?人か?
なんとも形容しがたい酸味の効いた異臭が俺の鼻を突く。
俺は口で呼吸をしながら、人の波をかき分け、人のいない路地裏へと逃げ込んだ。

路地裏の汚いコンクリートの地面に座り込み、空を見上げる。
状況を理解できずに人を揉まれるというのは、なんと疲れることだろうか。
俺は真っ暗な路地裏から、煌びやかな渋谷の街に視線を移す。
そんな喧噪に混じることの出来ない自分の不甲斐なさに、悔しさばかりがこみあげてくる。
俺は深くため息をついて、項垂れた。

会社でもそうだ。
刻一刻と状況は変わっていくのに、それを理解できないまま物事が進んでいき、挙句の果てに関係のないことで叱責をされる。
一方で、自由奔放にやっている荻原のやつは、俺と同じミスを起こしても、おっちょこちょいだなと笑われるだけ。
どうして俺はああなれないのだろうか。

今だってそうだ。
スーツのジャケットを脱いで、ボロボロのワイシャツさえ着ていれば、ゾンビのコスプレだと言って、あの喧噪の中へと飛び込めるはずなんだ。
だけど、変に格好つけて踏み込めないのも、自分が一番良く知っている。

悔しさが鉛のようにのしかかり、空をみる気力さえ起きずに地面ばかりを見ていた。
時折、野ネズミが俺の周りを走っては、また路地裏の奥の闇へと消えていく。
ネズミにも好かれないのか。
思わず笑みがこぼれた。

「お困りかね」
路地裏の奥で声がした。
俺は思わずそちらに視線をやると、そこには腰ほどまである白髪に、同じく地面につきそうなぐらい長い白髭を生やした爺さんがそこには立っていた。

「困るも何も、見ればわかんだろ」
俺は舌打ちをし、またも項垂れる。
「ほほう、あの中に混ざりたいのかね」
爺さんは白髭を触りながら、にやにやと笑った。
図星を突かれた俺は、それを無視した。

「なぜ自分に嘘をつく?嘘をついて得があるのかね?」
爺さんが首をかしげる。

今更になって俺は思う。なぜ俺は嘘をついているのだろうか。
嘘をついて誰かが助かるのだろうか?なにか得があるのだろうか?
嘘をついて傷つく自分がいて、後悔で潰されそうな自分がいて、何一つ得なんてありはしない。
俺は爺さんの質問に答えることが出来ずに、口を噤んだ。

「自分が傷つくのに嘘をつくとは、自傷病かね?」
爺さんが俺の顔を覗き込む。
「それは違う」
俺は真っ向から否定した。

「では、なぜ嘘をつく?」
爺さんの同じ質問に、俺は歯を食いしばることしかできない。

「俺は……」
「俺は?」

沈黙が続く。
1秒ごとに自分の中の酸素が漏れていき、息苦しさを感じる。

「逃げてるんだ……いっつも、いっつも。傷つきたくないし、迷惑もかけたくない、恥もかきたくないし、恨まれたくもない。だから嘘で誤魔化してるんだ。みんなそうだろ?だって、誰かから責められても、それは結局嘘をついたせいに出来るんだ。嘘に人格攻撃してるんだぜ?笑っちまうような。自分が嘘をついているのにな」

俺の目から涙がこぼれた。
そうだ。今日だって、本当は家で映画を見たかったし、たまにはハロウィンみたいなこともしたかった。
なのに、上司に目を付けられるのが嫌で、予定がないだとか言って嘘をついて、休日だというのに嘘をついて仕事をした。

その結果がこのザマだ。

「ようやく、本音が出たじゃないか」
爺さんがひひひと笑うと、俺の頭を撫でた。
あぁ、いつぶりだろう。
人に頭を撫でられるなんて、小学生の時以来じゃないか?
なんだか、救われた気分になった。

「ほれ、自分を見てみろ」
俺は爺さん言われ、自分の手を見る。
そこには黒い毛がもさもさと生え始め、指の先が黒くなり、爪が伸びている。
スーツが窮屈になり始め、俺はジャケットを脱ぎ捨てた。
黒い毛は全身を覆い、むずむずとした感触に襲われる。

「今のお前さんがこれじゃよ」
爺さんが手元には、丸い鏡が用意されており、俺はその鏡を見た。
頭には山羊のような黒い丸まった角が生えており、鼻と口が前方に伸びている。

「オレハ、コンナスガタニ」
口は震えるが、心の奥には熱い何かがこみ上げてきていた。
あれだけ変われなかった自分が、こんなにも変われている。
他の何かになれた自分がこんなにも気持ちいいだなんて、初めての感覚だ。

「向こう側に行ってこい。お前さんはもう、変われたんだよ」
爺さんがひひひと笑い、裏路地の闇へと消えていった。

俺は蹄をかき鳴らし、夜のハロウィンへと駆けだした。

おわり。

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静 霧一/小説
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