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ネコが覗いた世界史

今回はネコの話。
というと、これまでとあまりに毛色が違いすぎるだろうか。
ネコは、人の歴史にちょいちょい顔を出す。直接、歴史を変えたことはないが、歴史を変えた人物のそばにちゃっかりいたりする。大昔からAIの時代に至るまで。
数匹のネコから、歴史、そして感染症のことをつらつら考えてみた。


「ネコのためなら道を譲る」

狂騒というのか、波乱というのか、かつて知らないような選挙戦の末に、ようやくアメリカの大統領にジョー・バイデンが就任した。BLM(ブラックライブズ・マター)運動がバイデン勝利の要因といわれる。新型コロナ感染拡大のなかデモが繰り返され、それが若者の高い投票率に結びついたためだ。
バイデン政権は人種問題とコロナ禍というふたつに同時に対峙することになる。
歴代のアメリカ大統領で人種問題にもっとも深くかかわったのは、いうまでもなく奴隷解放をなしとげた第16代大統領エイブラハム・リンカーンである。
リンカーンの慈愛に満ちた眼差しは奴隷たちだけに向けられたものではなかった。もっといえば人だけに向けられてもいなかった。このライオン髭の大統領はネコが大好きだったのだ。
「ネコのためなら道を譲る」とまで言ったリンカーンの、南北戦争の戦火のなかにネコの親子を救ったというエピソードは多くの評伝がとりあげる。
バイデン新大統領がネコ好きかは知らないが、せめて人への慈愛はリンカーンのそれと同じであったほしい。そうなれば南北戦争にもたとえられる現在の国家分裂の危機も乗り越えられるだろう。
リンカーンのネコ好きについては何で知ったかは記憶が定かではない。テレビやウェブだったかもしれない。リンカーンの人柄と生涯については子供向けの評伝も多く、それを読んだのかもしれない。『エイブ・リンカーン』(吉野源三郎著/ポプラ社)あたりだったろうか。

疫病と「驚異の一年半」

ネコ好きの偉人というのはいくらでもいる。万有引力のアイザック・ニュートンは建物の扉にネコ用のくぐり戸をつけた最初の人といわれている。それがいつごろの話だったのかは知らない。
自然科学史に燦然と輝くいくつもの大発見をした18カ月、いわゆる「驚異の一年半」の時期で、故郷ウールスソープの家のドアにくぐり戸をこしらえたのが最初であってほしいものだ。
田舎にポツンと建つ納屋──ニュートンは農家の息子──の扉に小さなくぐり戸。それをネコが出入りしている。奥の書斎では天才が思考の海に沈んでいる。そんな想像をするだけで絵になる。
まあ、絵になるものはたいていフィクションの類と相場が決まっているのだが。
ところでニュートンが田舎に引っ込んだのにはわけがある。当時のヨーロッパを襲ったペストの大流行によって、職のあったケンブリッジ大学が閉鎖された。ロックダウンというわけだ。これがニュートンにとことんまで思考する自由を与えた。
この「驚異の一年半」は自然科学史を扱う本なら登場しないことはないほど有名だが、最近では『科学者はなぜ神を信じるのか? コペルニクスからホーキングまで』(三田一郎著/講談社ブルーバックス)でも詳しく語られている。

動物がもたらした厄災

本稿で、ネコと感染症の話はちょっとずつ絡みはじめている。もう少し進めてみよう。
ネコは家畜化した動物としては古いほうではあるが、イヌほど古いわけでもない。両者のそれには数千年の隔たりがある。人類史を想像すればわかりやすいだろう。人類史上、狩猟採集が農耕に先立つからだ。狩猟に役立つオオカミを家畜としたイヌのほうが、農作物を保管する倉庫や運搬する船に出没するネズミを駆除するために家畜となったネコより古いのは当然だろう。
家畜と感染症の深い関わりはジャレド・ダイヤモンドの名著『銃・病原菌・鉄』上下(倉骨彰訳/草思社)を読まれた方ならよくご存知だろう。ユーラシアや北アフリカが他の地域に対し先行して文明化した謎を、ダイヤモンドは解きあかす。農耕に適した気候風土、家畜むきの動物が生息している地域がポイントになる。野生動物の家畜化によって、人は狩猟をやめ定住するからだ。
そこで農耕が進化して余剰の農作物が生産される。余剰の生産物ができると農耕以外の生産活動が行えるようになる。そうして鉄ができる。文明の歩みはこんなふうに進んだ。
『銃・病原菌・鉄』では、なぜ南米の先住民族の帝国がたった数百人のスペイン人に滅ぼされたのかを、鉄から生まれた銃の存在だけでなく、ヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌に免疫のない先住民たちが感染しバタバタを死んだことを理由にあげている。
病原菌こそ人類が家畜と暮らすことによってもたらされた厄災である。今回の新型コロナもコウモリ由来であることがわかっている。
動物が保有する病原菌が人間社会に入りこむことで感染は起こる。さらに定住から生まれた都市化が感染を一気に爆発させる。ヨーロッパ人は地球上の他地域に先駆けて集団免疫を獲得する。そして新大陸へと渡る。病原菌を持ったまま。
免疫がない先住民族がどうなったかは、新型コロナの状況からも一目瞭然だ。

アインシュタインにまとわりつく猫

定住、農耕によって生まれた余剰の時間が、人々に宇宙や世界への関心と探求を始めさせる。文明はどんどん成熟していく。ニュートンの天才も余剰時間があればこそなのは、ペスト流行の「驚異の一年半」という余暇があったことと無関係ではない。
あり余る時間が育んだもう一人の天才がアルバート・アインシュタインだ。「奇跡の年」と呼ばれ、特殊相対性理論をふくむ重要な3つの論文を発表した1905年、この天才は大学に職を見つけられず、特許庁の閑職に就く。業務は単調であり理論物理の思索を深める時間がたっぷりあった。
アイシュタインの足元にも1匹のネコがまといつく。その名前を「シュレーディンガーの猫」という。
シュレーディンガーの猫とは、エルヴィン・シュレーディンガーがそれまでの古典物理学では理解できない量子物理学の理論に対しつきつけたパラドックスである。
量子力学によれば、粒子の位置と運動量は確定的に測定できない。宙に投げたボールが描く放物線のような因果関係がなく、「重ね合わせ(どっちもあり)」の状態になっているのだ。
それでは、この粒子のどっちでもあり状態が影響する装置をつくったら、生と死でさえどっちでもありとなるのか。

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      “Schroedingerscat3 " © Dhatfield (Licensed under CC BY 4.0)

箱のなかに1匹のネコを入れる。箱には放射性原子の崩壊を検知すると毒を散布しネコを殺す仕掛けがある。放射性原子(粒子)の性質に従えば、ネコの生死も箱を開けるまでは生死が重なった(生きていて死んでいる)状態なる。
そんなことあるのか?
アイシュタインはみずから量子論の基礎を築きながら古典物理学にこだわった。量子論のような説明について「神はサイコロを振らない」といって強く否定したのは有名だ。
シュレーディンガーは『生命とは何か』(岡小天・鎮目恭夫訳/岩波文庫)のなかで、「莫大な原子が互いに一緒になって行動する場合にはじめて、統計的な法則が生まれ」ると論じる。
つまりミクロの世界の予測不可能を、予測可能にするかのようにマクロの世界があるのではないかと。分子生物学者の福岡伸一はこの考えを現代では認められないとしつつも、大きな影響を受けたと『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)のなかで述べている。

AIが猫を見つけた!

21世紀に入り、第3次AI(人工知能)ブームが訪れる。そのきっかけにも2匹のネコが姿を見せる。そう、まさに“見せる”のだ。
AIが「眼」を持つ。つまり人間並の画像認識力を手にしたのは、2012年に起きた、ネコにまつわるふたつの出来事がきっかけだ。それはディープラーニングの登場と切っても切れない出来事でもある。
ひとつは2010年から開催されていた画像認識の世界的なコンテスト「ILSVRC(ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge)」で、ジェフリー・ヒントン教授が率いるトロント大学が、初出場にして圧倒的な成績で優勝したことだ。「ILSVRC」は、ある画像がネコか、ヨットか、花なのかをAIに識別させて競うコンテストでる。トロント大はディープラーニングで機械学習したAIで驚異的な精度でネコを識別した。
もうひとつの出来事はいわゆる「グーグルのネコ」だ。グーグル傘下のYouTubeに投稿されている動画を1週間にわたって解析し学習したAIが、ネコを自動識別するようになったのだ。膨大な数の動画をビッグデータにしたディープラーニングを行った結果だった。
1兆個の乱雑なデータのほうが、1万個の整理されたデータよりディープラーニンに肝要な機械学習には有効だという「データの不合理な有効性」という論文を、グーグルの研究者が発表したのはそれに先立ってのことだった。詳しくは『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』(マレー・シャナハン著、ドミニク・チェン監訳/ NTT出版)をみてほしい。
ミクロな一つひとつのデータでは見えない現象が、マクロなビッグデータになったときに私たちにも意味をもって現れる。先に引いたシュレーディンガーの言葉を思い出さずにはいられない。

コロナがAIに奇跡の進化を!

つらつらと考えてきたが、現在はまさに感染症の時代だ。部屋に篭った科学者がありまる時間のなかで思索を深め、まったく新しい理論を生み出すことはあるだろうか。
もしかして数年後、このコロナの時期がAIの進化をはやめたといわれるような「奇跡の諸年」となっているかもしれない。そういう天才を世界は待っているだろう。

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