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【ライプツィヒ】バッハの街って聞いたけど,本当?

私の音楽家職場見学,第2段です。

こんにちは!きりぎりすです。
お忙しい日々の貴重な時間をありがとうございます。

今回もライプツィヒです。

前回の記事で申しました通り,
私はある人が好きで好きで堪らんので,
ライプツィヒに行ったと言っても過言ではないくらい
この人が好きです。

誰ですか!
J.S.バッハさんです!

何と凛々しいのか…

いやあ感動しました。

町のピアノ教室に通っていた
小さな私はある日先生に
「ゴーゴーゴー」という
運動会で絶対に歌うという曲を
右手は赤を
左手は白を
弾いてみたのです。

すると先生が急に
「バッハやろう」
って言ってくれて,
私とバッハさんは出会います。

初めての曲は
インベンションの1番でした。

それはそれは練習しました。
単純に好きだったのです。
よく分かりませんが,
当時の私は左手が「伴奏」という立ち位置を
良いと思っていなかったのだと思います。

それから何年も勉強するうちに,
別の和音を弾く左手も歌の一部だと理解し始めるのですが,
はじめて左手を同じ主人公にしてくれたのは
バッハさんだという印象が強いことから
私は彼の音楽にのめり込むようになりました。

結局ピアノは辞めてしまうのですが,
そのあとに始めたバイオリンでもまた出会ってしまうのです。

それはパルティータ3番のPreludeでした。
それはそれは美しい曲で,
ただ無伴奏である上に簡単ではない技術が必要で,
当時の私にとって
バッハは私を苦しめてくる存在になっていました。

しかし何年後かに
なぜか突然
「あれをもう一度弾きたい」と思い立ち,
弾いてみました。

するとどうでしょう。
なんとも美しいメロディーと構成に
弾きながら泣き始めるではありませんか。

情緒不安定と言われても
否定できない内容ではありますが,
精神状態は特に問題ありません。

ただ今わかるのは,
当時の私にとって
計画された美しい音楽
という印象を強く受けるバッハは
色々なことが重なったときだったので,
落ち着けた瞬間だったのかもしれません。

だからといって,
練習が好きだったわけではないのですが。

まあそんなことは置いておいてね。
本題行きましょう!

J.S.Bachってどんな人だったっけ?


ここまで長々熱語りしてしまって
忘れちゃっていたけど,
そもそもの基本情報を紹介するのを失念していました。
ごめんちゃむ。

J.S.Bach(ヨハン・セバスティアン・バッハ)
1685年にアイゼナハで生まれ,
1750年にライプツィヒで亡くなる。(65歳)

バッハの職場,トーマス教会

オルガニストとして働き,
生涯で1000曲以上の作曲を行う。

でも実生活では
2人の妻(1人目とはペストにより死別)の間に
20人の子供がいて,
その半分は大人になるまでに亡くなってしまう。

「音楽の父」と呼ばれるが,
実際の父親としてのバッハについては
私はよく分からなかった。

というよりも,
本当は分かりたくなかったのかもしれない。
私の想像のままのバッハでいてほしかったから
素の情報を読まないようにしてしまっていたかも。

バッハは中学校の音楽で
「小フーガ」を勉強する時に
それはもうたくさん顔を見てきたのではないでしょうか。

沢山のステンドグラスの中から隠れバッハを探せ

これはトーマス教会のステンドグラスで
まるで訪れた観光客を見つめるように
こちらに厳しい眼差しを向けた
馴染みのある雰囲気のバッハさんがいます。

ライプツィヒで何をしたの?

トーマス教会で音楽監督をしました。
それにちなんで,
なんとトーマス教会には
実際のバッハさんのお墓があります。

この下に眠っているのだ…。お花綺麗

信じられなくない?
幼い私の

「分かりやすいぐらいに両手を主役にしたい」

という夢を叶えてくれたり,
バイオリンを弾くことの難しさに打ちひしがれた当時に

「元気だしなよ」

と言わんばかりの
綺麗に整頓された曲を弾かせてくれたりした
あのバッハさんが,
すぐそこに眠っているんだぜ?

ちょっともう半端なかったです。
実の骨を見ているわけではないのに,
まるで透けて見えるようでした。

多くの観光客がバッハさんに会いに来ていたんだけど,
それぞれに
「好きな曲は何ですか?」って
聞いて回りたくなりました。
(やっていません。さすがにおかしいかもしれなくて。)

ちなみに私は,
決めきれないのですが

「シャコンヌ」
「小フーガ」

以上の2曲を好きすぎています。
そのほかにも平均律クラヴィーアなども大好きですが,
やはりシックで大人な感じがする
この2曲が特にお気に入りです。

バッハ博物館とバッハコンサート


特にえぐかった二大巨頭ですね。
ちょっと1個ずつ行かせてください。

①バッハ博物館

バッハが見ていたであろう空と
バッハが見ていなかったであろう飛行機雲

トーマス教会を出て,
バッハさんとご対面し挨拶をしたら
向かい側にある黄色の建物へは
必ず行きましょう。
「バッハ博物館」です。

多少入場料はかかりますが,
有料エリアに入ってほしい。
是が非でもね。
こんなところで倒置法使うくらいには,
重要なことです。

なぜなら,
バッハさんが実際に使っていたパイプオルガン
バッハさんが実際に使っていたトランク。

こちらを見る事が出来るからです。
しかも,
パイプオルガンに関しては,
ちゃんと座っていたらしいのに
ショーケースなし。

特に動いたりしないのに
長い時間そこにいてしまいましたよね。

近くにいない人を想い続けるっていう
ラブソングって多いですが,
私はまだその感情を知らなかったのです。
終わったら終わり。次~。って感じ。

なんだけど,
バッハさんを前に
こんなものではいられませんでした。

本当に座っていたかもわからないのに
動くこともない
音が鳴るわけでもない
椅子とオルガンを長時間見つめる。

好きじゃない人からしたら
何してんねん案件ですよね。

けど,
あのオルガンを前に
私は何も出来ませんでした。

②バッハコンサート

これはもちろん感動したのですが,
その理由としては
バッハを好きでここにいて彼の音楽を
生で聴く事が出来ている環境に感動しているのではなく,
別の理由だったのです。

何とも荘厳な。

それは,
重苦しすぎる音楽からの急な解決を実感したから。

それはなんだと申しますと,
バロック時代に流行した作曲方法に
「ピカルディ」というものがあります。
それまで暗い雰囲気だった曲を
最後の伸ばす音だけで
明るい雰囲気に持っていくというものです。

もうね,これはね
実はバッハさんの音楽を勉強する時には
ほぼ必修と言っても過言ではないくらいに
重要なのですよ。

だけど,
自分で弾いていても
「最後は明るい和音で〆だな」
と思うくらいで,
特に何の効果も感じていなかったのです。

今思えば本当に惜しいことをしていたと反省しますが,
やはり現地で聴くと全くその効果が違っていたのです。

というのも
「暗い部分」というのが
教会のパイプオルガンで聴くと,
想像を絶するほどに暗いのです。
もはや「重苦しい」と表現すべきかもというくらい。

その最後にやってくる
突然の「ピカルディ」なわけですよ。

こんなもん予想出来ていたとしても,
勝てるわけなくないですか?

吉田沙保里のプレースタイルは
テレビで何度も放映されているのに
長い間,誰も勝てていなかったような
そんな感覚です。

何が来るのか分かっているのに
抗えないのって,
心がこんなにびっくりするんだなと分かりました。

Am Ende

いやあ,かなり喋ってしまいました。
ここまで来てくださったあなたに
大いに感謝しています。
ありがとう。

バッハだけで1つの記事にしてしまうくらい
ライプツィヒへはバッハ目当てで行きました。
他にもメンデルスゾーンなど
音楽家の家はあったのだけど,
旅に詰め込みすぎると良くないということを
ニュルンベルクで知ったので,
バッハに焦点を当てると,
とても充実して
何だか気持ちの良い旅になりました。

本日の素敵言葉!

風は見えなくても風車は回っている。音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける。

J.S.バッハ(1685-1750)

こんなことを言っていたのね。
知りませんでした。

ここまで書いてきた熱語りを
バッハさんもしていたと思っていいものかしら。

とにかくバッハに会う事が出来て,
我がライプツィヒ旅に一片の悔いなし!

最後まで読んでくださり,誠にありがとうございます。

では,またお会いしましょう!
Auf Wiedersehen!

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