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日本良いところ探訪...を語るそのまえに。

昔は、日本が好きではなかった。

狭くて、人間関係も簡単じゃなくて、同じ髪の色、同じ皮膚の色目の色、似てるような姿なのに、わたしはみんなと同じことができなくて、髪の毛の色は少し明るいし、性格も勉強も平均並みにいかなくて、大変だった。

親も個性的なのに、厳しくて、理想ばかりを求める人だった。小さい頃から、みんなが外で大声を出して遊んでいるのに、わたしはそんな中塾に行ったりして、友達と遊んだ記憶がそんなにない。
学生時代が終わって社会人になっても、わたしはみんなと違っていて、大人になりたくてもなれない、いつまでも反抗期が続く10代20代だった。
友達がいても、その場だけの関係みたいで、一人で過ごすことが多かったと思う。

東京近辺で育った大半だったが、わたしの周りにいる人たちは自尊心が高く見栄っ張りな人たちが多かった気がする。たまの息抜きに、夏休みとかに、両親の田舎がある大分に行って、優しいお爺ちゃんに会うことだけが楽しみだった。田舎で、田んぼと畑を耕し、お爺ちゃんがいつも浴びている太陽のニオイを嗅いで、軽トラックでいろんなところに連れていってもらうことが大好きだった。そんなお爺ちゃんも、もういない。

こんな半生だから、
自分がなんだかもどかしくて、それなのに、何もできなくて、1人が寂しくて、自分に嫌になることが多かったけれど、
大人になってから携わった仕事の関係で、いろんな地域から出てきて、働いている人たちと出会った。東京以外のところで生まれた育ち、東京に出てきた人たちの感性にときめいた。
イキイキとしてて、東京を楽しんでる。でも田舎も忘れてなくて、お父さんやお母さんや兄弟たちの気持ちが温かい、みんなの優しさに包まれて、東京で真剣に頑張っていると感じた。

そんな人たちと仲良くなればなるほど、ここではないどこかに憧れ、育った東京ではないどこかへ行ってみたくなった。東京近郊からは離れて生活はできなかったけれど、会社を辞めた後、1人でなにができるかを体験する為に、イギリスに行った。元々は、少しだけ勉強して帰ってこようと思ったら、約2年半ほどいて、イギリスで出会った人たちのおかげで、行くはずもなかった大学院にも行くことができた。
自分の視野が広がった。
自分の嫌だった個性はユニークでわたし唯一のものだということを認めることができた。

1番大きい出来事は、あんなに嫌だった日本に、逆に興味を持ち始めた。
もちろん、東京ではない、地方だ。
イギリスから帰った後に働いた会社のおかげで、いろんな地方へ行く機会を持つことができた。入社して早々から、日本の北から南、どこへでも行った。反対に、いまだに行っていない場所は、東北の青森、岩手だけである。

わたしにとって、東京は忙しい、人も車も慌ただしく、働く場所でしかないところだ。今も昔も変わらない。それに比べて、地方は、穏やかだ。
自然の移ろいや、人々のしゃべり声が豊かで、日差しが優しく包み込んでいて、自然と人との距離が近い。意地悪な人もいるかもしれない。でもそんなのがわからないくらい、一人一人の毎日を大切に生きている人たちが多いように感じる。

話を聞いたり、調べたりしただけでは、この日本を知っていることにはならない。自分の目で耳で心で感じたことが、本当の「わたしの国」なのではないかと強く思う。
海外に出ると、自分の国を愛し、誇りに思っている人が当然のようにたくさんいる。
わたしは、自分の国を、嫌いなままでいたくないみたいだ。

わたしの好奇心は、その会社を辞めても続き、まだまだ地方に想いを馳せることだらけだ。以前は、一人で、今は家族と一緒に。

わたしはさみしい人生だったかもしれないけれど、今は一緒に楽しもうと、冒険をしようとするバディがいる。バディがいるだけで、こんなにも強くなり、嫌いだった日本を見直そうとしている。
そして、
あんなに馴染めなかったこの日本の文化、人、そこにある食、歴史、何もかもを見てまわりたい。日本のどこかに、わたしのお爺ちゃんみたいな人がいるのではないかと思って、いろんな場所へ行った。

わたしにとって、知っている日本は、45都道府県。

いろんな思いが詰まった、わたしだけの日本風土記をこれから記してみたいと思う。

#エッセイ #日記 #紀行 #自分 #日本人 #日本 #半生  

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