特にコレといって特技も学歴もない私が、30代メインで貧乏から抜け出せず転職を何件かしてもがいた話
専門学校卒業後
携帯ショップの販売員
そもそもデジタルモノがあまり好きではなかったし、友人とのメールのやり取りでも
必要最低限しか文字を送らないことが不満のもとになっていたぐらい、メールより通話の人だった。
学生時の就職活動で、希望する広告業界に行けなかったこと、就職浪人は避けたいという思いと、一足先に契約社員としての就職が決まった同級生の紹介で面接を受け、契約社員として時給で働くことになった。
内勤の事務仕事と、内勤の店舗業務、どちらが希望か。
店舗業務のほうが時給は高い、ということで即、店舗勤務に決断。
保証もしっかりしていて、手取りの収入の条件的には不自由してなかった。
実家に住んでいたし、少々の貯金もすることができていたと思う。
しかし、途中から売った端末がかなりの確率でクレームとして戻ってくるようになり、対応に追われるうちに
仕事以外の時も文句が増大し、結婚も途中でしたので、いったんこの職を離れることに。
主婦業
パート・・・野球用品店・母校の専門学校
税理士だった夫の希望で、夫の仕事を手伝うことに。私がフリーになってから1年ほどで、夫も独立して収入が激減したので、たちまち私も外で働かなくてはならなくなった。
専業主婦の1年ほどは、子どももいないし(ほしいとも思わなかったし)生き甲斐が見いだせず、心から楽しいと思えるようなことはなかったように思う。
しかし仕事に行き始めてからも、夫と価値観が合わなかったが、私が合わせるしかなく、夫の価値観に合わせていると、仕事も多くの能力を求められているわけではなかったが、それ以上に本気で打ち込むことはできず、メンタルのバランスは崩れて自分をコントロールできなくなっていった。
今の私も大したことないですが、この時期の私にかかわった人には本当に申し訳なく思っています。
離婚・一人暮らしスタート
保険外交員
とりあえず実家から脱出しなければと思い、すぐに日当がもらえて
(研修中は交通費もらえて弁当も出るし外回りに行かなくていい)
心当たりがあるところってここしかなかった。
何とか実家を脱出し、一人暮らしの部屋を得る。
私の名義のものを含め、両親がお世話になっている保険屋さんが、もう定年を過ぎ、引退したいからその引継ぎにという話が初めだったんだが、そう甘くはいかず。
いわゆる「使い捨て」感の強い外回り飛込営業職。
契約取れないなら、身内知人の何人かを契約取り付けて、身内知人ネタがなくなったら退職、みたいな流れ。
離婚直後の鬱々とした、言い訳だらけの働かない脳みそと動かない体で、どんどん貯えを消耗、消費していく日々。
とてもじゃないがそんな状態で契約など取れるはずもなく、給料は家賃払ったら終わり、みたいな額。
研修中の同期の仲間と指導役の上司、行きつけのお店、話し相手になってくれる友達が心の支えだった。
ずっと転職のことと支払の金策ばかり考える。
とりあえず出勤→営業所を出発→自宅で昼寝、みたいなことも普通。
辞めるときも一度は引き止められるが
二度の引き留めはなく、上司が男性だったこともあってか
他の同期から聞く女の戦いのようなこともなく、あっさり辞めることができた。
派遣会社から工場へ(転職活動)
保険屋の時の同じ営業所の年の近い、数少ない先輩(多くの先輩はもう定年を超えてるベテランばかりだった)の紹介で
派遣会社1件、その他2件は自分で登録しに行き、短期の工場勤務をさせてもらう。
しかしどうも性格的に工場が合っていないのか、収入は保険屋より断然まともだったのに、やりがいを見いだせず、転職活動も並行してやることに。
広告代理店営業
職安で紹介してもらった広告代理店に滑り込みのような形で就職。
新規立ち上げの「子育て世帯向けフリーペーパー」のスタッフとして、が主な募集だった。
保険屋の時の収入の低さがあまりにも痛かったので、正社員で家賃とか生活費に不自由しない額がもらえるという面接時の話で、ドキドキしながら働き始める。
そもそも学生の時から「広告代理店勤務」には憧れていたが、希望する制作スタッフではなく、「企画営業部」での勤務。制作の実務経験がないから仕方ないと思ったが、とんでもないこき使われようで忙殺されていく。
しかし楽しかった。
まともな生活を取り戻すために退職。
ここでも、「払わなければならないお金」は払いきることができず、借金が増えるばかりだった。
詳しくを音声配信中。↓
https://stand.fm/episodes/6246ba1be6dce30006f1c19e
ブログ記事「最後の仕事」
最終日のボス、天敵、観賞用とのやり取り。
http://kiriasm.seesaa.net/article/461794235.html
パッケージ会社で事務職&作業員
広告代理店営業時にお客さんだった企業のオーナーさんに紹介してもらった会社に雇ってもらう。
社長の道楽で始めた別分野の「バームクーヘン専門店」に経理と総務をやっていた社長夫人がつきっきりになるため、
経理と総務の一部を担う形で正社員で就職。
滞納していた年金やら健康保険やらそういう類のものをちまちま返済していき、
収入も安定し、勤務時間も安定していたので、気持ちも落ち着いてくる。
しかし今後に備えるための資金は全くなく、すべての借入金がすぐになくなるほどの収入はなかったので、副業可のこの会社の特徴を利用させてもらい、終業後に母校の職員室でバイトさせてもらう。
パッケージ会社の別部門でバームクーヘン専門焼き職人
「バームクーヘン専門店」で働いていた職人さん(もともと洋食の料理人)と折り合いがうまくいかなくなったことと、店舗の家賃値上がりや売り上げの低迷などいろいろなことが重なり、マチナカにあった店舗を閉めることに。
社長夫人は、そのままこのお店をやめるつもりだったが、社長はあきらめきることができず
店舗をコンテナハウスにすることと、
家賃のかからない本社の敷地内に設置すること、
人件費の安い素人の私を職人にすることで、社長夫人の許可を得た。
私は転職活動の厳しさが忘れられず
(しかも年齢もそんなに引く手あまたな状態ではないし、インパクトのあるウリになる能力もこれといってない)
職歴が短いままこの会社を去るのが惜しく、そもそも私を職人にするという案が現実的と思えず、社長に笑って適当に返していたら、それは
「職人になることに合意」
という意味にとられたらしく、腹をくくらざるを得なくなった。
それまでバームクーヘンを焼いていた職人(そもそも一人)は、「調理師の資格もないただの事務員だった女」の私に、この仕事が勤まるわけないと思っていたのかは定かでないが、
私はバームクーヘンの焼き方を教えてもらう時に、彼の態度の悪さでこの職人さんがなぜ、内部の人との折りあいが悪いのがやっとわかった。
バームクーヘン専門焼き職人として別会社に移籍
店舗が街中にあった時よりも固定で払わなければならなかった経費が安くなったことで、細々と続けていたコンテナ店舗だったが、ついにここでも存続は無理という判断が下される。
社長夫妻の動きで、コンテナ店舗と職人をセットで買うという新しいオーナーが見つかり、私も店舗と一緒に仕事場と雇い主が変わることに。
車屋の事務員
オーナーが変わってからまもなく、自営業の現夫との結婚が決まり、現在の職に至る。