見出し画像

【四国・九州編】旅の記録 31日目

3月12日、31日目はちょっと久しぶりの車中泊でした。
3月6日の夜に車中泊して以来だったので、約1週間ぶりくらいでしょうか。
あんまりホテル、使わない予定だったのに……

この日は離島に遊びに行ってから、香川県は高松まで移動予定です。
朝一番の離島行きのフェリーに乗り込むため、いつものヤツセットみたいな朝食をササッと済ませて、レッツ離島!!

1.大久野島

ご存じの人もいるかもしれない、通称「うさぎ島」です。
この島には千羽前後という野生のうさぎがいる島で、フェリーの費用だけでうさぎと無銭接触が無限に可能な、うさぎ好きにとっては天国に一番近い島なことでしょう。
僕のようなアラフォーニート引きこもりクソオタクが一人で行ってファンシーに耐えられる島ではないことは明白ですが、僕のお目当てはうさぎとのふれあいではありません。

この島がうさぎを大量に飼育する必要があった背景……
「日本地図から消された毒ガス製造施設の島」だったという跡、および戦時中の砲台跡地や弾薬庫跡を見に行きました。
毒ガス資料館は入場料かかりますが、それ以外は無料公開されております。なんて太っ腹!!

まぁ、道中でうさぎを見つけたら、エサの一つでもくれてやらんこともないですがね。

朝もやにけぶる盛港。
8:50は朝もやだろうか。
往復720円。安いっ!!
チケット売り場に売ってたうさぎのエサ。
まぁ、これが目的ではないので。

大三島の盛港を9時5分に出航し、大久野島に9:20に到着。
わずか15分の船旅です。
あんまりにもすぐに到着したので、フェリーの写真とか撮り忘れました。

大久野島、到着。

この案内板のどこを見ても「うさぎ」について一言も言及してません。
そのくらい真面目な戦争遺跡の島なんです(キリッ)
島を周回する際は時計回りに回る、というのがすっかり身に染みているので、例に漏れず時計回りで歩き始めます。

車で島を一周する際に時計回りで走り出すと、ずっと左手側に海が見えるため、走っててちょっと気持ちいい。
反時計回りで走ると、海との間に車が通るためあんまり気持ちよくない。たぶん。

自転車乗りの頃に染み付いた偏った常識
船着き場からすぐ左手側。
もうちょいうさぎがワサワサいると思ってた。
いや別にふれあいたいわけじゃないのでなんでもいいんですが、なんとなく買っちゃったエサのこともあるし、いないならいないで別にいいんですけど(早口)
いた!!!!第一うさぎ発見!!!!!
寝てるので起こしません。
てかこれだけ近づいてて起きない野生とは?
ファンサ100点なうさぎ。めっちゃ俊敏に駆け寄ってきてくれた。
いい子なのでエサあげちゃおう。しゃーなしやで(デレデレ)
ほかの個体。近い。
近いって。
ちけぇよ!!!

しまった、うさぎの可愛らしさに目的を忘れるところだった。
野生のくせに人間慣れしすぎて、紙袋をガサガサ鳴らしたら四方八方から出現してくる。さすが千羽前後いると言われるだけはある。
気を取り直して、うさぎから離れなければ!!

こんな防空壕あるのか。
一般従業員用とは全く異なり、めちゃくちゃ強固な作りらしい。
撮った記憶のない写真。
これが入口。
さすがに奥まではわからなかったし、立ち入り禁止なのでここまで。
立ち入ったら酸欠で死にそうですね。
どれが研究所跡かわからなかった。
毒ガス製造するのに陶器だったらしい。
これらで実際に作っていたらしい。
毒ガス資料館。一番の目的地(本当)。

ここ大久野島は、日露戦争の前には要塞となり、その後には毒ガス製造の島となった。
敗戦後は毒ガス製造施設、貯蔵庫共に破壊され、毒ガスはすべて海中投棄された、という旨のことが書いてありました。
バチクソ省略しているので、興味ある方は「大久野島 歴史」とかでググってみてください。きっと胸糞悪くなるような歴史のオンパレードです。

僕も来島前に少し調べていたのですが、この資料館では想像以上のことが書かれていました。
昭和初期の安全対策なんてザルもいいところと思っていましたが、割としっかり対策してると感じましたが、それでも被害に会ってしまうようなこともしばしばあったそうな。

毒ガス研究所で試作された毒ガスの生体実験にウサギが運用されていたらしく、それの子孫が現在繁栄しているのではないか?
と思っていたのですが、一説では戦後の小学校で飼育していたウサギが野生化したというのもあるそうです。
僕は個人的に、生体実験の子孫説を推したいです。
そのほうが「毒ガスの島」との結びつきも強く、また大久野島にはウサギの天敵が存在しないため、説得力がある説に思えます。
もっともどこを調べても答えはないので、推測するだけに留めておきます。

毒ガスのことはこのくらいにして、島内散策に戻ります!

砲台を格納してたであろう場所。
砲台と砲身を載せてたであろう場所。
こう見るとわかりやすいかも。
砲身載せてた場所……?よくわからん。
山頂に向かって軽く登山。
山頂からの眺め。
隣にある「小久野島」だと思う。
星座盤発見!!
てことは結構星空観察にいい感じなのかな。
3か所ある砲台跡のうちの1つ。
うおおおお、雰囲気すげええええ!!
一室を覗いてみるとこんな感じ。
裏側から見るとこんな感じ。
少し進んで、北部砲台跡。
入口とかに、少し老朽化を感じる。
なんだろ。少し進んだところ?
どこにでもいるウサギ。
左の地下室みたいなところ、水没してた。
何があったんだろう……
水没っぷり。
砲台ってこんな感じ。
へし折れたアンカーボルトの跡。
日本じゃないような雰囲気あるけど、「ブレーキ注意」みたいな文字が邪魔。
迷った先にたどり着いたところ。何ここ?
火薬庫跡の跡らしい。
台風とかで土砂崩れあったのかな……
火薬庫跡の欠片。

調べてみると、2018年の西日本豪雨の際に土砂崩れが発生したらしい。
でもさすがレンガ作り、形が残っているあたり頑丈な施設のよう。

発電所跡!!
ここが一番廃墟感ある!!

ここは柵が設けられており、内部は立ち入り禁止です。
そのため、危険を顧みずに立ち入った雄姿、もしくは日本語読めない人らが撮影していただいた写真にて内部を紹介します。

どこから撮影したかわからないけど、ガランとしている内部。
本当に発電所……?変電設備とか蓄電設備とか非常用発電設備とか高圧遮断設備とか、一般的な発電所にはあるはずの設備がどこにあるのか、まったく見当つかない。
たぶん右側の部屋。
床にケーブルトラフがあることから、たぶんここは制御盤があった部屋だと思う。
おそらく奥の部屋。
天井が落ちてきてて危なそうな雰囲気。
確かに危なそう。
立ち入らなくてよかった!!!
別アングルより。
この島の設備で一番雰囲気ある。

ここまで来て、大久野島一周終了です。

エサが余ったので、フェリー乗り場近くに大量にいるウサギたちに振る舞おうとするも、お腹いっぱいなのか、あまり近寄ってきません。
時刻は12時頃、僕よりも後のフェリーで来た人たちでフェリー乗り場あたりは大賑わい。
彼らの大半はウサギ目当てでしょうから、そりゃあウサギたちも満腹でしょう。
まだ食べてくれそうなウサギを探し、残ったエサを全部あげました。

こうして僕は12:15のフェリーで大久野島を後にしました。
たった3時間の滞在でしたが、毒ガス製造設備だったり戦争跡地だったり発電所跡だったり、この島の歴史が詰まった魅力的な島でした。

2.ランチ

大三島に到着し、適当にランチを探しました。
何せしまなみ海道らしいものを何も食べていないので、何かあったらいいな!!
地元野菜をふんだんに使ったレストランを発見しました。

いかにも好きレットで料理を提供してくれそうな看板。
野菜を一番使ってそうな感じのパスタ。
商品名は忘れた。

オシャレパスタをいただいてから、今日中に高松まで行く必要があります。
およそ170kmくらいありますので、のんびり下道で高松まで向かいます。

3.夜の高松

この日は高松で飲む予定をしておりました。
しかし高松の居酒屋での写真が……一枚たりともなく……なぜだ……?

しかし、帰り道の写真はいっぱいありました。

終電後の踏切。
車が本当に少なかった。
終電後の線路っていいよね。
締めのラーメン。コク旨塩ラーメン。
やっぱ塩ラーメン大好き。

これにて31日目、終了です。
大久野島が9割くらいでしたね。
翌日は、数年前に超行列で食べられなかったうどんリベンジしてから徳島まで行きます。
旅が、終わりそうだ……

31日目走行距離:174.6km
総走行距離:4,114.4km

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?