少女の聖域vol.3|巻頭エッセイ|高柳カヨ子|グリモアールの扉を開けて
魔法少女、という言葉をよく耳にするようになったのはいつ頃からだろう。
アニメや漫画の中で、少女は魔法少女に変身して戦う。あくまでもそれは、自分のためではなく誰かのためだ。
魔法の力自体も外部から付与されるため、魔法少女が使う魔法は、少女自身が生み出したものではないのである。
魔法は少女にとって、誰かから与えられる特別な力なのか。
いや、そうではない。
少女で在るというそのこと自体が、すでに魔法なのだ。
少女性を抱くこと、年齢や性別を問わず可愛いものや美しいものを愛でてやまぬこと、社会的な外圧を跳ね除けて消費されないよう逃走 / 闘争し続けること。
それら全てを成し遂げている「少女」という存在は、もはや魔法それ自身といってもよいのではないか。
魔法少女に変身しなくても、少女は魔法を内包しているのだ。
魔術ではなく呪術でもなく、魔法。
現実の世界の外側に通じる扉を開くその力は、特別な才能や条件を必要としない。
一枚の絵画、一体の人形、一着の服、一つのアクセサリーに出会うだけで、魔法は発動される。
さあ、菫色の小部屋に置かれた「魔法大全」を開いてみよう。
この聖域で、あなたは少女になる。
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少女の聖域展アーカイヴ
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