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霧とリボンと私を結びつけたのは「ビリティスの娘」だった。フェミニズムの過剰の美学と透き通ったエレガンスの部屋を携えて、『若草物語』のジョーとベスを行ったり来たりしながら、新幹線で首都へ向かい虚空の街を歩きながら見つけた。人生の新たな扉が開く瞬間は不意に現れる。約束が果たされるまで鈍い幕をいくつも開ける。最初はそれとは分からない横雲に触れるとだんだんと目が眩んでくる。サッフォーの手招き。霧の中にたなびくリボン。灰色なのは曇天だったか、それとも指に結ばれたリボンだったか。
霧とリボンは、今まで秘めていた思いを形にできる場所。心ゆくまで耽溺できる場所。作家にとっても、サロンを訪れる人にとっても、みな同じ魂を持った者として歓迎される。
そんな場所にたどり着いた私は、オンライン上に存在する架空のモーヴ街3番地の司書として、詩作を軸とした創作と思想を編み上げる活動を続けている。女性やクィアな詩人の作品を読もうと思えば、その詩人の人生について考えることは避けて通れない。例えばモーヴ街のイベントで最初に訳出したエミリー・ディキンソンの詩を思い起こせば、彼女の詩は生前に出版されることは数回しかなかった。それもディキンソン独自の詩の形式を修正される形でしか。そして、毎日の生活を繰り返すなかで詩を書き続けた。世界の中でどのような位置を与えられていたかを空洞化することはできない。
そして作品を読むとき、私たちは自身の生について思いを馳せる。無意識に、または強い希求をしながら、あったかもしれない時間について、どこか異なる場所の可能性について。だから私は、誰にも読まれなかった作品を読む。誰にも見られなかった映画を観る。そうして忘れられたかもしれない人生に敬愛を捧げながら、私自身もまだ見ぬ新しい生を描いていく。アブサンの緑酒のようにすべての境界を破壊する貪欲さで、モーヴ色が奏でるアナクロニズムの魅惑に時に溺れながら。わたしはあなたのビリティスになりたい。いや、もうわたしはあなたのビリティスなのだ。菫色の小部屋がなくなった後にも、輝きを発散させる一角獣となって菫色の同盟を残していく。
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