自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害とマルチタスクや臨機応変との関係について

自閉症スペクトラム(ASD)や注意欠陥多動性障害(AD/HD)とマルチタスク(複数同時処理)や臨機応変(ケースバイケース)との関係について、その機序を考えていた。

AD/HDは複数の情報を同時にインプットすると脳内の多領域が多発的に活性化してしまい、一方でアウトプットできるのは少数なので(体は一つ!)結果としてミスをしたり遅れたり忘れたりしてしまう。よってAD/HDという障害の特性上マルチタスク(の行動)は苦手になる。一方でASDは「自分の世界に閉じこもっていたい」という欲求があるために種類の異なる情報を同時にインプットしたくない(同じ引出しに入らない!)。また自分の基準に従い順序をつけてアウトプットしたいという欲求があるために、ASDという障害の特性上マルチタスクが「嫌である」。

そこで知的障害がない場合について考えてみる。AD/HDは知的障害がなければ、多くの情報をインプットし、アウトプットしきれずにミスをしたり忘れてしまったりする。そのアウトプットが多動や注意欠陥であったりする。高機能自閉症は(知的障害がないので)インプットした情報に「閉じこもっていたい」。アウトプットすることが苦手なのではなく、自分の好きな仕方でアウトプットしたい。そのアウトプットに他者はいない(誰に言いたいか、伝えたいかが希薄である)。

発達障がい者はマルチタスク(複数同時処理)が苦手で、臨機応変(ケースバイケース)ができないと言われる。しかしその言い方は発達障がいを大きく捉えすぎている。マルチタスクや臨機応変が苦手なのは知的障害があるが故であり、知的障害のないAD/HDや高機能自閉症はマルチタスクや臨機応変が苦手でもできないのでもない。

例えば知的障害のないAD/HDは多くの情報を取り入れ、そこから限定された言動を行う。AD/HDのない人が10の情報を取り入れて1のアウトプットをするのに対して、知的障害のないAD/HDは30の情報を取り入れて3か4の言動を行う。それはマルチタスクである。3か4の言動を行う知的障害のないAD/HDはまさに多動だが、マルチタスクが苦手であるようには見えない。状況に慣れたり不安が低減したりして注意欠陥がなくなれば、知的障害のないAD/HDの中から社会的成功者が現れ、また天才が出現してもおかしくない所以である。

またこれに倣って言うと高機能自閉症は10の情報を取り入れても0.5の言動しか行わない。高機能自閉症でない人から見ると自閉しているように見える。しかし情報を処理していない訳ではない。高機能自閉症は10の情報を取り入れて20の情報処理を行っているように見える。だが0.5しかアウトプットしていない。そしてその0.5の言動は量的には普通の人の半分だが、質的には「普通じゃない」「変わった」「独自の」言動のように見える。高機能自閉症の課題はアウトプットされる言動の「質」である。学者や芸術家の中に高機能自閉症者が少なくない(であろう)所以である。

以上、AD/HDや高機能自閉症と知的障がいとの関係について考えてみた。実証は難しいのかもしれないが、いわば観察則である。

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