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最後のパズルはもうないよ☆

故主人が亡くなり、たまたま知り合ったM

明るくて健康的な人だから友人でもいいなと思っていたけど、一人暮らしだったから、小湊鉄道バスに乗りたくさんのお手製おかずと愛犬を連れて通った。(当時Mが借りていた家)

何か事情がありそうだったが、私には関係ない

主人を亡くして間もないのに不謹慎だからだ。

寂しいというより、一人になりたかったんだけど。。。

彼は、朝早くから仕事に行き私は洗濯と、ご飯を用意して海に散歩しに行く程度で、そんなにはしゃいだ気持ちにはなれなかった。

忙しい彼は、ご飯食べてお風呂入ると寝てしまうので

それが良かった。

頭の中が空っぽになるチャンスだったし、東京の部屋は故主人の思い出が詰まりすぎていて苦しかった、息もできないくらいに・・・

そんなこんなしているうちに、時間だけが立ってしまう

Mには当時、奥さんもお子さんも居たが別にどうでもよかった

通り雨みたいな人間でも良かったんだ

私の本当の家族は、バラバラなので団結が無い

私にも親も子供も興味はない

故主人が大嫌いな母だから、「彼が死んだよ」と伝えたら

ばちがあたったんだね~」ということだった。ま、そこを話すと2年くらいかかりそうなので書かない。もういいよ。

いろいろあったんだけど、何故だかMと結婚した

紙一枚で人生が変わるのかな?と思ったが変わらなかった

むしろひどくなったんだ

口が悪いのはいいけど、暴力は良くない

暴力とは殴るとか羽交い絞めとかだけではない

拒むのに無理やり自分の要求を果たすことだ

気持ち悪いトラウマががよみがえり、何度か寝ている間に叫んだことがある

故主人の時にもあったのだ・・・・(心理的なものでPTSDだ深い深い恐怖・・・痛み・・はずかしめ)

昔母親に相談したら「あんたはMの便所だね」と言われたことが忘れられない。

それが嫌なら「お金」をもらいなさいよがアドバイスだった。

時代錯誤も甚だしい(時代劇か

ひかれたレールに乗らなかった私が悪いのだろうな、嫌だから逃げた

逃げ方は違うが、場面を変えて何度パトカーに乗せられた(家出娘)

夜間の高校に通い、たまに昼間帰ると知らない男とSEXしている母を見た

私には居場所がなかったんだよね、そのころ。。

私は、父親が3歳で離婚されていないので存在とか父親像とか分からない

9歳のころ「今日からこのひとがお父さんだよ」といきなり母に言われ披露宴によばれなんか歌えと言われたので「富士山」を歌ったな。訳が分からなかった。

ちょっと前後左右し過ぎたが、私はまともではないと結論がおととし出た

母親とMの意見だ。

私を精神病院へ入れようと話が進んでいたので、ヤバいなと思い私はまともな会社へ就職したのだ。別に仕事できるしむしろやりたかったのに・・・

ただ、仕事中の移動自転車でパンフレットを配布中に急におじいさんとおばあさんが飛び出てきたのでよけたら、自分が自爆しました。

ひっくり返って、振り向いたらその老人夫婦は居なかった。

まきこまれたくなかったのかな?

何故なの?やったこともない外仕事、営業が商談しかしたことない

或いは、美容関係のデパートのお仕事か歌手しかしたことありませんが。。

何とか、故主人を亡くして持ち直そうとした矢先にこれでした

入院も折れた骨が肉に刺さったまま一週間家で待機(ロキソニンのみ)

コロナ患者最優先(しょうがないよね)


Mのご飯を作り、触らないでと言っても触る。。。出来れば八丈島への島流しの方がよかった。愛犬も雑に扱うので心配でした(動けなくて)

だから、今この狭いアパートに愛犬と暮らしています

だって安心だもん。

Mの家に行くと、テレビはNHKご飯は17時

消灯は21時起床は6時。精神安定剤と睡眠導入剤を飲んでるとついていけません。お弁当のおかず、夕ご飯に洗濯と話し相手(私の興味と意味のない)

朝は3時ごろに彼が目が覚めるので起こされる

薬効いているので真っ暗な部屋で転ぶ

行ってらっしゃいと手を振るのも疲れました。

精神障碍者と彼はTwitterで私の事を言いますし、パニック障害は治りましたがストレスやトラウマがPTSDを呼び起こすので、傷ついてしまいます。

だから逃げます。

肉体的必要な戒めは忘れることができないのです。

「やめて」といってもやめない

牢獄に居るのと同じ気がしますが、おいしいものを食べたり外には出れますが「どこにいるのか?」「いつかえるのか?」

暗いキッチンでTwitter見て23時には寝ないと怒られる訳ですから地獄でした。一人暮らしの方が寂しくても自由があるから、その方が本当に良いと思います。愛犬とだらだらしながらも、資格は取りますし仕事もします。

Mの娘自慢、お孫自慢元奥さん自慢はもう限界灘ですわ。

大きく愚痴りましてごめんなさい

もう限界灘を超えました。

母親にもう二度と会うこともないむね、ただ緊急時の時は行くこと

今まで、思っていたことを文章にまとめ手紙を出しました

言葉で伝えると感情的になり、話の軸が変わるのが嫌だからです。世間の皆様は、82歳にもなる一人の母親を見捨てる娘なんて最低というところでしょうが、私の生んだ一人息子は私の弟に戸籍上なっているのでやはり感情的になります。でも、神様が見ているのでしょう

私に問題があるのだと・・・・

自分でも認める部分があります、歌手になったことです息子に寂しい思いをさせました、母親に預けて営業してました。

私が覚えている息子は中2の反抗期満々のときでしたが、私の誕生日にキティちゃんのかわいいぬいぐるみを買ってくれました。

ただ、生活が苦しくて営業以外にルートセールスをしたり夜で場末のスナックでも働きました。芸能事務所の地社長だった彼(故主人)も携帯を作る会社で作業員として頑張って働いていました。事務所火の車で・・・

たまたま、ある大手の仕事の末端で働いていた時に「全国まわらないか?」と話が彼に来て私も着いていったことが、「子供を捨てた」と言われる原因になったのです。私個人としては、歌手をしている時にも毎月15万円母に渡していましたが、今聞いても「おぼえてないわ」です。

私の前の事務所(浜松)の社長に騙され商工ファンドの保証人になってしまい240万の肩代わりについては(私は知らなかった)知り合いに借りて返しました。私にもありがたいことに後援会の方がいたんです。

辛かったな・・・裏切った気持ちになりましたが母が過剰になってきてるので「助けてください」とお願いしました。これについてはすべて清算しました。

何年か経ち母にその話をしたら「そんなことしなくてもよかったのよ、弁護士通してかたしたから」

私は、信用と歌手としてのやる気が失せたことを言えずにいました

「それより、息子にかかった学費を返してほしい」と言うので、細々と返す次第のむね念書を書かされ拇印を押しました。

いえ、返しますけど会いたくありません。時が過ぎ、一度実家に帰りましたがわがままがすごい。ご飯をつくるのはいいけども旅行に行きたい、あれもこれも食べたい夜は寝ないずっと今までの恨み節をしゃべる(あれはなんなんだろう?)朝4時に寝て朝9時に起こされ

どこかに行こう!と肝硬変だった私にはついていけない

でも、車を借りていきたいところに連れて行きましたが、体の体調が酷くなり東京に帰りいまの主治医に管理してもらいながら、元気になりました。

肝臓的には外側は固いかさぶたのかたまりですが、内面はきれいになってるから「肝炎」に変わりました。

なので、元気になりましたのでさっそく就職したら鎖骨骨折で退職です。。。

全治1年・・・・・・

靭帯3本切れてしまい今だ、不便です。

指がしびれて持ち物とか何かを落としてしまいますので、健全な人ではないんだな

罰が当たったと母の言うとおりになりました。

でもね、人生は自分が死ぬまでがあるのでなんどだって再生できるのだと思います。誰が正しいだのその人の解釈の問題なんじゃないかな?

こうして書いてみて思うのは、もっと楽しくて人が経験したことのない事もあったんだよねって経験もしたのでこんどはそちらの方も書いてみようと思います(笑)

私は私というパズルのピースを持っている

それだけは、「嘘」とは言わせないよ

ずいぶん嘘つきと呼ばれて自分でも「嘘つきなんじゃないかな?」と思うほどでしたから。

狼少女じゃないよ、なかなか狼少女をやり通すのはキツイと思うな。




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