愛を教えてくれた「犬のシロ」
この夏休みのお盆過ぎあたりになると、子供の頃にお別れをした「シロ」を思い出します。私の家は平屋でして、同じような家が横に並び3軒先のピアノ教室をやっている、先生のおうちで私もピアノを習っていました。
私は、あんまりピアノが好きではありませんでした。弾く事に楽しみを得ないタイプだし、教え方もちょっと嫌でしたので耳で覚えて譜面を読まないやり方で弾いていました。
そこの家で飼われている、迷い犬の「シロ」と遊べる事が一番の目的だったんです。真っ白で鼻がピンクのシロは優しい大人の犬でした。私が寂しくてシロを撫でていると、手を舐めたり顔をベロベロと舐めたりとなんとなく、愛を感じていました。
私の家には、親は住んでおらず祖母と二人暮らしで子供の私は、本当に寂しかったと思います。ピアノの練習が終わるとシロの散歩をさせてもらえるので、それだけが楽しみでした。蓮華を編んだりシロツメクサを探したり、湧き水の川をシロと眺めたりと、子供の私に本気で付き合ってくれました。
私は、子供の頃は今と真逆でおとなしい子でしたので友達は限定されていたし、子供の友達よりは大人の犬と居た方が数倍楽しかったのです。
そんなある夏休みの夕方、何故か私は昼寝をしていました。喉が急に渇き水を飲みに台所へ行くと、開けっ放しの玄関と廊下の間にあるレースのカーテン越しに、シロが座ってこちらを見ていたのです。
「あれ?シロ?ちょっと待ってて」私は、蛇口をひねりコップに勢いよく水を入れゴクゴクと水を急いで飲み
「シロ・・・あれ?」シロの姿がありません
同時ぐらいに、祖母が泣きながら玄関で靴を脱ぎました。
「どうしたの?」私がそう聞くと
「シロが今、死んじゃったんだよ・・・あんなに苦しんだ声聞こえなかったの?」といいました。
「嘘だよ、今ここにシロが居たよ」
ねずみを駆除する赤いお米を食べてしまって、それは苦しんで苦しんで死んでしまったそうです。
私は、何故シロの苦しむ声に気が付かなかったのでしょうか。お別れも出来なかったし、玄関に居たシロは私が悲しまないように、会いに来てくれたのかもしれません。寂しい私を悲しませないように・・・。
ありがとうシロ。横たわるシロをみつめ私は、初めてお別れを経験したけれどシロの事は今でも忘れてはいません。こうして、夏の終わりの夕方になるとぼんやりとシロの事を思い出しては、真っ黒い犬を抱きしめています。