ヒーリングバックペイン。京都がつらい。

最近京都に住んでいるのがつらくなってきた。そう思い始めたのは、、コロナの反動か観光客が劇的に増え、観光客の問題などがニュースになってきたここ一年ぐらい。でも特にこの一か月がピークだ。
8月の終わりから10日間、ハワイに一人旅に出た。美しい海を眺め、風を感じて帰京。京都は暑いのは分かっているけど、風がない。それどころか空気が止まっていて、息ができないような気さえした。もちろん海もない。海がないし山に囲まれた盆地だから空気が通らず風もない。
私は京都が大好きでここに住んで幸せに生活していたはずだったのに。今まで感じたことのない京都に対する息苦しさを感じるようになった。
私は元々は神戸出身。埋立地の人工島で生まれ育った。海に囲まれ、いわゆる神戸の港の夜景を見て育った。母方の祖父母は須磨と明石の間の垂水で、母は明石海峡を眺めて幼少期を過ごしている。突然神戸の海が見たくなった。潮の香りのする風を肌に感じて、胸いっぱいに吸い込みたくなった。
9月は休みの日に、祖父母の住んでいた垂水の舞子付近のホテルに一泊と、自分の故郷のランドマーク的ホテルに一泊、二回に渡って帰省した。5年ぶりだった。三宮に着くなり、多少新しいビルはできていても、全体的には変わらない神戸の風景に安心した。何よりそんなに海のすぐ近くでもない三ノ宮駅でさえも、吹く風に潮の香りを感じた。舞子の海は最高だった。天気も良く海はキラキラ輝いていた。比べるものではないが、ハワイの海より神戸の海がいいなと思ったりもした。
自分の生まれ故郷の港の風景も懐かしかった。なんだか子供に戻ったようで、昔の最寄り駅で降りて住んでいた家に帰りそうになる。こちらに行った時は天気が良くなかった。天気が良くないときは空気に含まれる水分が多くなる。その水分に海のにおいがのって、なんだか海臭い。懐かしいなぁ。とても感慨深かった。でも自分が育った町はちょっと頭が痛くなる。過ごした時間が長ければ、そこで経験したことは幸せなことだけではない。苦しいことが多かった。それでもそこには確かに愛があったことをなんとなく感じたりもした。
神戸に帰ろうかな。もちろん自分が育った町じゃなくて、おじいちゃんとおばあちゃんがいた、垂水の、舞子の海が見えるところに。
それとも全く違う場所へ行こうか。人生はまだ長いから。もっと冒険をしたい気もする。
しかしもう一つの問題がある。私はいつまで一人なのだろう。そろそろ一人は疲れた。大切な人ができてその人と暮らす場所の話をできたらいいのだけれど。
今は行き止まりの袋小路で次の道が分からなくなっているみたいだから無駄な抵抗はやめて、そこから飛行機で大空に舞い上がることにした。大好きな街に一旦行ってみる。大好きな人もいるあの街へ。

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