若死にするのは善人だけ
最近、勉強に目覚めつつある次女がワシに聞く。
「お父さん、語彙を増やすにはどうしたらいい?」
「そやなぁ、分からん言葉はとりあえず辞書引いて、好きな本読め」
何ともテキトーなオヤジである。
辞書を引いた記憶が戻る。
あまり洋楽は聞かない。ただ昔はビリージョエルだけはよく聴いた。
中学時代はレンタルレコードを借り、歌詞カードをコピーして、英語で歌うと「こんな単語だったんだ」とか「こういう意味か」と気づきがたくさんあって新鮮だった。
Only the good die youngという曲は実に興味深い。
ピアノのソロから入るアップテンポなメロディ。タイトルとは似つかわしくない。最初聞いた時は和訳を見ても意味が充分には分からなかった。けれどオッさんになって聴きなおしてみると何とも世の中への皮肉に富んだ名曲ではないかと気づいた。
死ねばみな天国に行けるのさ…とまでは言っていないが、かなり享楽的な歌詞が心地良い。
ルールやモラルに従順であることは人として美しいかもしれないけれど、人がずっと未来永劫に清く美しく居られるのだろうか。少なくとも自分には無理だと思う。果たして、そんな人がいるのだろうか。
別に刹那主義を勧める訳じゃない。
何だか最近の世の中を見ると、色々なことが両極に寄ってしまっている気がしている。
何回人生があっても使い切れないほどの資産があっても、まだカネが欲しいと貧乏人から巻き上げようという強欲な輩もいれば、まだ若いのに未来の自身に何も期待できずに絶望して自ら生命を絶つ人もいる。
他人に指一本触れただけで感染症になると信じ込んでしまう人もいれば、夜な夜な自粛している筈の酒場でお楽しみになる高名な国会議員や医師会の会長もいるそうだ。
太陽に北回帰線と南回帰線があるように、行ったり来たりはあっても、今までは世の中のほとんどが中庸の帯の中で収まっていたものだ。もう何か安全装置が壊れたみたいな世界に変わったのかもしれない。
こういう「風」を感じていると、敢えて今を楽しもうと考える人が増えるのも頷けるし無理もない。
天寿は何も歳を取ってから訪れるとは限らないし、自身も例外ではなくそのひとり。
こういう世だからこそ、善人ほど若死にしてしまうのは道理なのかもしれないね。
難しいことはもういい。いつお迎えが来ても良いように、明日も気分良く、楽しいことを見つけたいものだ。