余生の真っ最中に思う
子どもを作るまでが生物としての役割ならば、自身はすでにお役御免になる。
生物の中には次世代を迎えるために自身を消すものもあるから、強ちこの理論は的外れでもない。
平均寿命からはまだ道半ばを少し過ぎたくらいの現在地だが、自身が家庭に子どもを迎えた時に妙な安心感を得た感覚があった。
特に次女が生まれた時には「これで最低限、自分たちのせいで人口が減ることはなくなった」という想いだった。
子どもを持つ持たないを含めて、生き方は人それぞれだとは思うのだが、子どもを持たない自由への配慮と同じくらいに、子どもを設けて次世代を育むことをもっと大切に扱ってほしいなとは感じている。
人なんてせいぜい100年くらいしか生きれない訳で、次へ次へとバトンを渡さないと人がどんどん減るのは事実なのだ。
こうして生命を紡ぐ以上に、大切にしたい自由とは一体何だろうかと少し考え込んでしまった。
もし仮に、結婚もしたい、子どもを育てたいと思いながらも、経済的事情でできないならば悲しすぎる。
多分だが、そういう若い人は多いのだろうなと思っている。
本来なら得られる筈の賃金をピンハネする仕組みで世の中を歪めたのは間違いない。
これで「労働の流動性が高まった」と喜ぶヤツは本気で愚かだ。