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メビウスの輪

春めいてきて「良い季節だな」と思っていたのが昨日のような感覚だが、まさに夏真っ盛りに差し掛かりつつある。

もう8月になる。最近の時間感覚なら、お盆が過ぎれば年末のことを考え始める。そしてまた新しいカレンダーをめくることになる。

人はまるでゴールのないメビウスの輪をぐるぐると廻っているだけのような気がする。

毎朝起きて仕事をして、夜が来たら寝る。繰り返して時間が流れて歳を重ねるいく。若い頃から生きる意味を自分に問いかけてきたが、最近はとみに頻度が増えた。こうして考えることができるだけまだ幸せなのかもしれないけど。

昔からタイムマシンが語られる理由が分かってきた気がする。その世界に詳しくないので断定的には言えないが、時空を超えるというのはお伽話であり、大抵のものを支配してきた人類がどうしても支配できない砦である「時の流れ」、もっと大きなフレームで言えば人の限りある生命を永遠にしたいという願望がタイムマシンなる「幻想」を生み出したと思っている。

文明はまだ進化する余地があるだろうが、そんなものが発明されたら、きっと人は自分たちの起源まで遡って自分たちを亡き者にして途絶えてしまうに違いない。

また、タイムマシンがあったとして、もっと善く生きることができたかは分からない。俗なことを言えば、株や競馬の結果を知っていれば金儲けはできるだろうが、多分、若い頃の自分にアドバイスをしても根本はきっと変わらない。

生き急ぐのは死に急ぐと似ている。言葉はまったく違うけれど。

惰性で生きていくことを忌み嫌いはしない。それも一つの選択肢だから。

でも、自分としてはそれを選びたくないと思いつつも、自分が作り上げた今がそれを選ぶようになっていることにジレンマを感じる。そう思う間は時計の針は味方をしてくれないからだ。

与えられた生命をどう使うのか、少しだけ景色を見ながら考えてみたい。心が動けば自然に身体も動き出せる。

今とはまた違うメビウスの輪から人生の景色を見てみたい想いが消えないうちに。