わかりにくいことをわかりにくいままで純度が上がっていけば伝わるのかな。
やっぱり忘れてしまっている。 泡になってしまった。 長く湯船に浸かっていたときは ぱらぱらだったりガチャガチャだったりと言葉が ずっと流れてきていたのに とはいえ、まとまりのないことならいくらでも。 前途、腰が痛くなってしまったと書いたけれど それは最近「おばあちゃんになってしまった」と 心のどこかでしっくりしてしまったからかもしれないと思った。腰痛=おばあちゃんは失礼なのかもしれない。とそこは置いておいて 創作のために自分に時間を与えた時は お金に苦しくて創作にも余
腰が痛くなって思うことは 「何か気持ちを溜め込んでいるのではないか」ということ。 溜め込むなんて そもそも頭の中がカオスなので これを出していたら社会生活を送れない。 じゃあ、書き出してみたら 痛く無くなるのだろうか。と思い、 ただただ書いてみようと思う。 本当は絵なんだろうけど 「描く」ほうの「かく」なんだろうけど 頭の中が散文のように言葉で溢れていた 次から次へと本当にお喋りで それこそ泡になって消えていく言葉たち 私のところじゃなくて もっと著名な人のところに
小学4と6の女子はそれぞれ動画に音ゲーに楽しそうである。いくらでも時間を費やすし、そのせいでできないこともたくさんあるから親としては「もったいないなー」と思ってしまうけれど。「何かしなくちゃ」としている私の方がよっぽどつまらなそうだし疲れている。ちょっとしょんぼり。
「女は大変」っていうゲームをしているんだろう。って思う。「お母さんはー」「妻はー」って。男の人も大変だけれど、今世は女で生まれたので、こいつをひっくり返すまでは死ねないのである。脈々とDNAに継がれている「女は大変」。かといって、嵐のようにバンバン状況に反抗するはしたくないし。