繋がっていたい僕ら
今回は桐野夏生さんの書いたグロテスクという本の話をしようと思う。
余談だが、僕はこの本のモデルになった学校(大学の方ですけど)に2ヶ月通ったことがある。その時、そこの高校の生徒を見て度肝を抜かれたのだ。
髪型が自由でみんなスタイリッシュなのだ。本当に本当にびっくりした。
グロテスクの語り部たる人物と、後で殺されることになる人物も、高校入学時に同様の感想を持ったのだろう。
生まれた環境の差、本人の頭脳や外見といった資質の差が如実に出てしまうのだ。この辺りの詳細な記述が本当に上手である。まだ珍しかったレスポのリュック、高級ブランドのバッグ、グッチのローファーに囲まれて生活する少女達と、ラルフのソックスすら買えずに自作する少女の差。ふざけあっていても子猫のような愛らしさがでてしまう少女と、なにを必死でやっても痛々しさしかでない少女の差。
その差は何をどうやっても埋まらないし、どうしようもない。
この物語のなかの女性たちはそれぞれ苦しみながら生きている。女だからこうしなきゃいけない、女はこんな事をやってはいけない、女は…、という女性特有の部分の苦しみだけでなく、男性との関係性に関する苦しみも付きまとってくるのである。
でも、どんなに戦っても頭脳や収入の差は埋められても、外見や育った環境の差は埋められない。そこは絶望なほどに。
結局、何をするにもどう生きようとも、埋められない差は埋められない。それよりも、自分の心の中をうまくコントロールする事、あとできれば、感情を共有できるような人がいる、という事が凄く大事なのかと思う。
少なくともこの物語のメインの3人の女性はそんな関係を構築できていない。彼氏や夫、気のおけない友人といった描写はなく、地獄のような苦闘が延々続いていく。
最後まで秀才らしく必死で頑張る和恵、自分の武器は悪意と思っていても実際のところいつでもどんな時でもユリコの姉でしかない自分から抜け出せなかった「わたし」、やりたいようにしか生きていけず、自分が何なのかわからず死んでいくユリコ。
そのどこにも感情を共有できる相手はない。ただ他者は自分を映す鏡であり、そこには本当に何もない。
結局のところ、他者の評価なんてどうでもいいし、というのは実はユリコだけである。それ以外は、ずっと他の人の事を気にしながら、過剰に意識しながら、自分のステージはどのランクか、自分のヒエラルキーはどの辺りか、その事に必死で誰かに認められたくて生きているのだ。
別に売春したり、酷い目にあったりとかそんなことが「グロテスク」なのではなく、最後まで実は求めていた関係性を他者と構築できず、他者の評価のみでしか自分をとらえられずに生きていかざるをえないこの女性たちの生き方がある意味本当に「グロテスク」である。
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