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#31 私の強みとそれ以上の危うさ

この前。
最近哲也さんに写真の撮り方を教わっている10歳の息子が、不機嫌になったことがあった。きっと疲れたとか、何か私やお姉ちゃんが言った言葉に不機嫌になったのだろうと思う。

その時、一緒にいた哲也さんは息子を宥めるでも叱るでもなく「そういう時は写真を撮ってごらん」とカメラを差し出した。

何が言いたいかというと、私にはそうやって自己表現できるものはnoteを書くことなんだろうなと思ったのだ。

どうしたユーコ

オープニングパーティーまであと一週間。
物件契約に手間取ったこともあり、契約完了からは怒涛の日々が続いている。大急ぎでやってもらった内装工事。備品の買い出し。SNSや予約サイトについて。日々決断、注文、支払いを繰り返す。

本当にね。こんなことで立ち止まる時間も無いわけだけど。
今日、わかったことがある。
落ち込んだ、とは少し種類が違うこの感情を書き留めておきたいなと思って、終電まであと1時間ぐらいのラシクでパソコンを叩いている。

「私」は。

自分で言うのも手前味噌すぎるし、世の中にはもっともっと上がいることも承知で言うが私は仕事が早いとか、要領が良い人間なんだろう。

それはこれまで言われてきたように「もうできたんですか?」「社長がお1人でやられたんですか?」そんなことを言われる瞬間は、会社を立ち上げて以降何度かあった。例えば社労士さんに。例えば税理士さんに。
今までの世界から出たところでそんな風に言ってもらえるのはシンプルに嬉しい。あぁ良かった。派遣クオリティだと思われなかったぜ!と安堵すらした。

ここからが大事

逆に。私の弱点やウィークポイント(同じか)みたいな、ネガティブなことも容赦なく降りかかってくる。そしてこれの攻撃力たるや、とてつもない。
私はいわゆる優等生で、褒められることはあれど怒られた経験がそもそも無い。そしてそのせいで争いを好まないというか、ちょっとした食い違いでの口論というか…そういうものを避けて生きてきた。

一応戸籍上は約10年夫婦でいた元夫とも、一度も喧嘩になったことはない。

だからなんというかな。「ユーコさんのこういうところ良くないよね」みたいな、私のためを思って進言してくれる声にも素直に耳を傾けられない。
今日、そのことを人に指摘されて私はフリーズしてしまった。
本当に、フリーズ。40にもなったおばさんが。

そんな時に、どういう声や顔をしたら良いのか?わからなかった。
それでまた、逆ギレしたような格好になってしまい相手を不快にさせてしまった。

それは賞賛の声の何倍も私の思考を支配した。

私が悪い
どう伝えたらよかったのか
経営者の器ではない
何も言わぬべきか?

1時間の帰り道。それらを何周も何周もした。

私がどう、なんてものはどうだっていいのだ。

相手が受け取ったことがすべて。

私は自分が正しいと思い、他者を批判する汚い人間で
相手から批判されると受け入れようともせず逃げる狡い人間なのだ。

怒ってくれたあの人へ。がっかりさせてしまったあの人へ。

ここで。ラシクでたくさんの人を認め、肯定して生きていく過程で、変わった私を見せられるようにがんばります。

ヒューマンリソース ハーモニスタ、と看板に掲げながらまったく人を大事にできていない。それが今の私。
コーチングがどうの、誰かを支援する、などと今の私には言えたものではない。それがよくわかった。

日付が変わった。
気持ちも切り替えて、明日は誰かのために生きようと思った。みなさんも今週お疲れ様でした!

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