友人が傷心していると思ったら、人を殺していた

昨日の昼、仲の良い友人が訪ねてきた。
というより、朝映画を観て帰ってきたら、家にいた。高校時代からの友人で合鍵の隠し場所を知っているので、僕が不在のときは勝手に家に上がっていいことにしてあった。
アパートのドアを開けると、見慣れた靴と彼の背中が見えたので、
「あれ、おはよう」
と言うと、彼はお邪魔してるよ〜と言いつつも、振り向かず、台所で何かを作っていた。
「何作ってるの」
「酒のつまみ、ほうれん草のおひたしと、油揚げと、やみつきキャベツ。好きじゃん？」
「はー、ようやるね。まだ昼間だぜぇ？昼もまだ食ってねえのにさ。」
「昼間だからだろ。今日は死にたいから、死ぬまで飲もう。酒は冷蔵庫に入れてあるし。」
「へえ。」
僕が冷蔵庫を開けると、所狭しと並んだストロングゼロと、ビール、炭酸水、リキュールに、ブラックニッカ。…なるほど、死ぬつもりだ。明日は何があったっけ。
彼が何かあった時に急に飲みに来ることはよくあったし、こういった時、相手が自分から話し出すまで突っ込まないことが、友情を長続きさせる秘訣だと思っている。きっと悲しいことがあったんだな、とは考えつつも、何があったのか尋ねるのはやめておいた。
「手伝う？」
「いい。映画貸りてきたから、それ入れといてよ。」
はいはい、と答えながらビデオデッキの電源を入れ、テレビ横に置いてあったTSUTAYAの袋を取った。中には、「ダイ・ハード」「ベスト・キッド」「リアル・スティール」「アバター」「アイアン・マン」の5作。最近あまり観てなかったベスト・キッドを選び、ディスクを挿入した。
そうするうちにつまみが出来上がったらしく、彼の作ったつまみと、さらにコンビニ袋から出てきたつまみがローテーブルの上に並べられ、酒盛りが始まった。

僕たちのこの「傷心会」はいつもこうだ。つまみと、酒と、映画。映画は、流しているだけ。自分たちの近況や仕事の話をしながら、たまに映画のワンシーンについて語って、また自分たちの話に戻ってゆく。爆発音や歓声ほど、いいBGMはないと思う。酒でぼーっとしてきた頭で、自分の話も、彼の話もほとんど聞いているようで聞いていない感覚に、お互いが救われているのだ。どうしようもない、どうでもいいことを語るこの時間は、僕にも彼にも必要なものだった。

時間は21時。酒はどんどん空いていき、とうとうこれが最後のビールになった。最初はコンビニの袋に空き缶を詰めていたが、それでは足りなくなり、ゴミ袋を新しく引っ張り出してきて缶を詰めていた。二人ともすでにベロベロで、先ほどからトイレに行っては、酒を飲み、飲んでは、トイレに行くを繰り返していた。

映画は、最初に「ベスト・キッド」を見終わり、「アイアン・マン」と続き、「アバター」は途中で見るのをやめ、「リアル・スティール」「ダイ・ハード」と流れ、とうとう貸りてきたものがなくなったので、僕の家にあった「クラウド・アトラス」を入れていた。
僕が何度目からかのトイレから帰還して、横になりながら手でぐわぐわとする頭を抱えていたとき、彼がまた話し始めた。

「いや、実はさ〜、あのさ〜、なんか、昨日さー、今日、俺、朝早くから来たじゃん？それさ、昨日、いやー…、昨日ね。」
「んだよ。はよ言え〜。」
「あー、いや、人殺しちゃって。実は。」
はは、と適当に笑う彼に、少し苛ついた。…なんだよ。最近YouTubeで流行りの、絶対に話に乗っからなきゃいけないゲーム？この時間帯に頭使わなきゃいけないようなもん始めやがって…と思いながらも、僕特有のノリの良さが口から飛び出た。
「えー？あ、どーりで？なんかねー、お前の手、鉄くさいと思ったんだよー？バレバレだから。ダメじゃーん。誰？前言ってた職場の上司？彼女？いやお前、親はダメだろ。わっるいね〜…。」
僕がそう返すと、今までヘラヘラと笑っていた彼は、一瞬だけ、まるで突然氷水でも浴びせられたように至極驚き、真剣な顔をして、僕の顔を見た。その一瞬の後は、また彼は先ほどのような酔いどれに戻った。ようだった。表情は笑っているし、ヘラっとした雰囲気を作り上げようと努力しているつもりかもしれないが、目だけは笑った瞼の奥で、僕がどう思っているのか、それだけをしっかりと伺っていた。彼のその目から感じるものは、狂気でも、殺意でも、悲しみでもなかった。ただ、強烈な臆病さだけが、彼を包んでいた。
彼は、僕が彼を恐れることで、彼の心の側から逃げ出すことを恐れていたのだ。

「で？」
気が付いた時には、その一言が口から出ていた。彼の心の孤独と、臆病さ、僕への強い愛情をとも言える信頼感じた僕は、彼を理解できないという気持ちを心の何処かに押し込んだ。

「埋めに行く？」
口から出て来た二言目は、それだった。できるだけ、彼に不安を与えないように、少し笑って、引越しの手伝いでもするように気軽な提案をした。酔いはどこかへ飛んでいっていたけれど、頭がまだ回っていないようなフリをした。
僕は、上手く動揺を隠せていただろうか。今、彼を変わらずに、心から愛せているだろうか。

彼は、その僕の提案を聞くと、突然に泣き崩れた。
言葉にならないような謝罪と、言い訳と、どうしようもない感情を嗚咽の合間に混ぜながら、泣き続けた。僕は、のっそりと思い体を持ち上げると、ただ彼の側に寄り添って、背中をさすった。きっと今の僕の言葉は彼には届かないし、こういう時の気持ちは、言葉にして自分の口から離れた瞬間に効力を失うと思ったから。
彼のすすり泣く声と、僕が彼の背中をさする、布が擦れる音。

時間は、22時を回っていた。
彼はすでに泣き止んでいたが、未だ鼻をすすっている。彼の隣には、涙と鼻水の詰まったティッシュが、ゴミ箱に山住みになっていた。僕は彼の隣に、黙って寄り添っていた。映画はとうに終わり、メニューの選択画面がループしていた。
二人とも、どちらかが話し始めるのを待っていた。この長い沈黙を破るということは、この後の時間に、自分が責任を持つということだとわかっていたからだ。

彼は、自分の手首をじっと見つめていた視線をあげ、僕の目を見た。
彼の目が言っている。
「本当に一緒に、埋めに行くと、言ってくれ。」「自首しろと、言ってくれ。」
多分、どちらでもよかったのだ。けれど、二人とも、それを言葉にできなかった。お互いに、目をじっと見つめた。

負けたのは、僕だった。
「行こう。埋めに。」
彼の表情が、本当は初めからそれを望んでいたように緩んだのがわかった。彼は、頷かなかった。拒否もしなかった。少しだけ緩んだ頬を一生懸命に引き締め、僕が放った彼への全肯定の言葉を前に、ただただそれを持て余しているようだった。
自分から何一つ動こうとしない彼に少しの苛立ちを覚えながら、僕は立ち上がった。今までずっと横になっていたので、視界がぐらりと大きく揺れた。大きく深呼吸をすると、部屋全体がアルコールの匂いを帯びていた。僕が息苦しくなって窓を開けると、彼はまた、何もないように話しはじめた。

「実は、スコップ買ってあるんだ。昨日の夜に。あと、埋める場所も候補があって、選んで欲しくて。あとは移動手段なんだけど…。」
「俺の車に毛布でくるんで乗せよう。歯とか、身元確認のために潰した方がいいんかな。指紋とかは？あとは…？」
なんだ、もう腹は決まっているじゃないかこいつ、と思いつつ、僕たちは作戦会議、もとい、死体遺棄、隠蔽の策略を巡らせた。もうここまでくれば、気分は共犯者だった。ポツリポツリと二人で話を進め、その緊張感の無さと、吹っ切れた爽快感で僕はまた、酔いが戻ってきたようだった。酔いも回っているので、一時間ほど仮眠をとって、日付が変わってから家を出ようということになって、僕たちはそれぞれ、床に転がったまま眠りについた。

僕は、強烈な朝日で目を覚ました。頭が割れるように痛いし、倦怠感もある。しかし、そんな働かない頭でも、自分たちが寝過ごしたことだけはわかった。全身に冷や汗が溢れる感覚と共に、ハッとして隣の彼を見ると、そこに彼はいなかった。
彼の代わりには、ローテーブルの上に一枚のメモ。
「ありがとう。弔辞はよろしくな。」
全身の力が抜けた。そのまま、もう一度横になると目頭に熱さを感じながら、再び深い眠りについた。