悪習慣は飽きてやめるが一番
お酒、タバコ、夜更かし、ネットサーフィン(今は死語かな?)、ダラダラyoutube・・・
一般的に「悪習慣」と定義されているものはたくさんあるが、私は「ダメなのでやめなさい」というメッセージを見かけると反発してしまう厄介さんだ。
HSPが関係あるというよりかは、愛着形成とかそっち方面の欠落が関連しているように思われる。
何でもHSPのせいにするのは不快だ。
そんな悪習慣一般論だが、やはり「悪い」という事自体は合っている。
合っているというのは、統計学的に「体に悪影響がある」を羅列している、という事だ。
つまり正論だ。
正論は、感情を逆撫でする。
正論の内容そのものでは無く、「誰から言われるか?」で感情の感度が変わってくる。
「お前に言われたくないわ!」
という感情になれば、かなりの不快さ確定だ。
私は自分で「語る資格があるか?」というのを自問する習性があるのだが、どうやらその習性は「『お前に言われたくないわ!』と言われたくない」から来ているらしい。
相変わらずややこしい性格だ。
そんなこんなで、私は「悪習慣は良くないとわかりつつ、伝えられ方によっては反発してきた」人生を送ってきた。
「送ってきた」だ。過去形。
現在から未来にかけては、もうその呪縛から開放されそうな予感。
その予感は、悪習慣をフェードアウトさせる自分なりの流儀が確立すつつある、という感触によって自覚できてきた。
ちなみに、冒頭の
お酒、タバコ、夜更かし、ネットサーフィン、ダラダラyoutube・・・
に関しては、幸い私には縁がない。
私が自分の行動で悪習慣と定義しているものは
「身体に鞭打ってすぐ現地まで駆けつけたり、車内泊や事務所泊でスケジュールをこなしてしまう」
というものだ。
人を巻き込んでの迷惑、つまり社員に何か無理をさせるという類のものはやりたくない。
やりたくないからこそ、「自分一人」というシチュエーションだと、とたんに「何でもオールOK」の全開状態になってしまうのだ、私は。
・こんなお願いしたらイヤがるだろうな・・・とか考えなくて済む
・気遣いしなくて良いなんて、何て幸せ!
・一人の身軽さは無上の喜びだ!
という「悦」になるのだろう。
人の顔色を伺うセンサーの感度が良すぎて困ってしまう。
筒井康隆の作品で「火田七瀬(ひた ななせ)」に出会った時、七瀬の苦労わかるわー、、、と感じていた幼少期の感触は未だにくすぶっている。
その「悦」が、身体に鞭を打つ行動を引き寄せる。
当然、身体には悪影響。
長距離の運転は、自覚がないまま脳や眼球の披露を蓄積する。
身体を伸ばせない状態でのクッションなし睡眠は、もはや休息していないのと同義。
再起動していないパソコンを稼働させ続けるように、連続酷使の行動は、まさに「悪習慣」と呼ぶにふさわしい。
しかし、今まではうやむやにその選択肢を許してきたのだ。
ではフェードアウトできた自分の流儀とは何か?
これは、まさにHSS型HSPの真骨頂とも言える「開き直り」作成だった。
具体的には、「長距離ドライブと車内泊」を「飽きるまでやり切る」のだ。
・「やめなさい」と言われると反発。
・ハマるものはごく一部で基本は飽き性。
この2つの自分の特性を有効活用して、「逆をいこう!」モードにする。
ちなみに「逆を行こう!」モードはいつも、ジョジョをイメージ。
ジョージ・ジョースター(ジョースター卿)やフー・ファイターズのあの名シーンが脳内再生される。
「悪いって知ってるけど何スカ?」と開き直り、悦状態を楽しむ。
楽しむ。
楽しむ。
わが道を「飽きるまで」やりきる。
不思議なもので、本当に飽きる。
(ただし、私のこの習慣に関しては飽きるのに6年ほどかかったが・・・)
飽きて自分で俯瞰してみると、「ああ・・・身体に悪いな・・・自分の身体に謝れ・・・いや、感謝しようか・・・」といった、漫画の主人公になったような回想すらしてしまう始末だ。
この考え方は、お酒やタバコには不適合だ。
つまり、直接「脳」への刺激をする類のものは「逆を行く」をしてしまうととんでも無いことになる。
私が定義した範囲のものであれば、「脳が悦と勘違いしているだけかも?」の余地があるので、逆を「行き切る」事によって抽象度が上がる。
物事の半分しか見ない状態だと納得いかないが、全体を見た(経験した)なら「そらそうだ」と思える。
私の人生で今後、悪習慣だけどやめられない・・・に遭遇した場合は、この流儀で立ち向かえそうだ。
一安心して、布団で寝られる今日の夜に深い感謝を伝えよう。
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