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実家帰省 青森の夏祭り  

実家に帰省した頃には既に終わってしまっていた青森の夏祭り
その代表的な物を紹介します

まずは
青森ねぶた祭り
灼熱のじゃわめぐ響宴!
跳ねる夏!!
「ラッセラー、ラッセラ、ラッセラッセラッセラー」

「ねぶた」には武者や神話の名シーンをモチーフにしたものが多く、
睨みのきいた表情が見どころ
忙しい夏の農作業の妨げとなる眠気や怠け心などを流す
「眠り流し」という農民行事から生まれ
ねぷたの語源も、この「眠り流し」から「ねむたながし」「ねむた」「ねぷた」と転訛したのではないかといわれています。

弘前ねぷたまつり
勇壮な武者絵である鏡絵と、哀愁の漂う見送り絵に彩られた大小約80台のねぷたが、「ヤーヤドー」の掛け声とともに、城下町・弘前を練り歩く。
扇型の「扇ねぷた」と人形の形をした「組ねぷた」の2種類。
最初に小型のねぷたが、続いて大型のねぷたが曳かれます。子供たちが手に持つ「金魚ねぷた」は可愛らしい
正面の「鏡絵」に描かれるのは勇壮な武者絵、背面の「見送り絵」は妖艶な美女の絵となっており、表裏の対比も弘前ねぷたの魅力のひとつ。それぞれのねぷたの後ろには笛や太鼓の一団が続き、お囃子が祭りを盛り上げる。

黒石ねぷた祭り
魂込め勇壮に!
黒石には古くから人形ねぷたと扇ねぷたの両方がありました。青森は人形ねぶたであり、弘前は扇ねぷたに代表されますが、黒石は両方が共存してきました。
ねぷたを乗せる台が3段ないし4段と積み重ね、その上に高欄がある
見おくり絵で、見おくり絵は表面の武者人形に対して美人画を書いてある
表面の絢爛豪華に対し徹底して物寂しさを追求します。観客はこの見おくり絵に魅せられます。

扇ねぷた・人形ねぷたが出陣し、笛・太鼓・鉦のはやしに、
大人、子供の「ヤーレヤーレヤー」の掛け声も勇ましく、
街は熱気であふれ、ねぷた一色に彩られます。

五所川原立倭武多

五所川原立佞武多祭りは江戸時代末期から始まり、
お囃子もお祭りを盛り上げる重要要素として親しまれました。
五所川原立佞武多囃子の「ヤッテマレ、ヤッテマレ!」という掛け声は、
標準語で「やってしまえ!」という意味。

八戸三社大祭
一番の見どころは、おがみ神社・長者山新羅神社・神明宮の三神社の神輿行列と、神話や歌舞伎等を題材に各山車組が制作した27台の山車の運行。高さ10m・幅8mにもなる山車が通るたび、沿道では大きな歓声があがります。また、ライトアップされた山車が夜空に浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出す夜の運行では、昼とはまた違った雰囲気に。
子供たちの「ヤーレ、ヤーレ」の賑やかで力強い掛け声とお囃子が良い

凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができました。その御礼として、八戸藩の許可のもと、武士や町人から寄進を募って神輿を建造し、享保6年(1721)に長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが、八戸三社大祭の始まりと言われています。

代表的な祭りのみですが
地域に根ざした祭りが行われます
響き渡るお囃子や掛け声とともに、まるで大河を流れる極彩色の灯籠のように街を練り歩く様子は、北国の厳しい気候風土とともに生きる青森の人々が、まるで、短い夏にすべてを捧げるかのように祭りに情熱を傾けているようにもみえます。
祭りの根っこにあるのは、人々の祈り、そして郷土への誇り。
みんなが心ひとつになって完全燃焼する、青森びとの熱い魂が込められた、伝統の夏祭りです。

今年のねぶたには石川県志賀町の能登の小中学生を招待。
ハネトとして参加してくれたようです。
良い思い出になってくれればいいなあ


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