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1月25日は、日本最低気温の日&日本最低気温の日に関連した記念日&左遷の日&カノッサの屈辱&美容記念日&主婦休みの日&朝日新聞が創刊

【日本最低気温の日】

1902(明治35)年1月25日、北海道旭川市で、氷点下41℃を観測。

この観測が、日本最低気温の公式記録であることにちなんで、記念日が制定されています。

《余談》
1978(昭和53)年に、北海道雨竜郡幌加内町で、氷点下41.2℃を記録するも、この記録は、気象庁の公式観測記録の対象外だったため、旭川の記録が、公式の日本最低気温記録です= 2024(令和6)年末時点。


【日本最低気温の日に関連した記念日】

《中華まんの日》

「寒い日には中華まんを食べて身も心も暖まってもらいたい」との願いから、コンビニなどで販売される加温まんじゅうの衛生管理や品質向上活動を行っている日本加温食品協会が、1月25日に記念日を制定しています。


《ホットケーキの日》

「寒い日にはホットケーキを食べて身も心も暖まってもらいたい」との願いから、「ホットケーキミックス」の製造・販売を行っている森永製菓株式会社が、1月25日に記念日を制定しています。


【左遷の日】

延喜元年1月25日(新暦901年2月21日)、時の右大臣・菅原道真が、醍醐天皇によって、九州の大宰府に左遷されたことにちなんで、記念日が設けられています。

文学に長け、物怖じせず、自分の「正」に正直だったとされる菅原道真が左遷された理由に関しては、特にその黒幕は誰かについて、今なお歴史家の間でも意見が分かれています。

一説には、菅原道真の才能を激しく妬んだ、時の左大臣・藤原時平が、何かにつけて醍醐天皇に菅原道真の讒言(ざんげん)を繰り返していたことや、先代であり、父であった宇多天皇が重用したことで、本来持てるはずもなかった権力を得た菅原道真を、醍醐天皇が危険視したことが言われています。

讒言=人の悪口や悪評を言って、その人を貶(おとし)めることや、その様。

いづれにしろ、全くの濡れ衣で、福岡県の太宰府に太宰権帥として左遷された菅原道真は、無念の思いを抱きながら、2年後の延喜3年2月25日に亡くなりました。

菅原道真の死後、京では天変地異が相次ぎ、権力者の一部だけが変死を遂げる奇妙な出来事が相次いだことから、左遷され、無念の死を遂げた菅原道真の祟りだと恐れられ、菅原道真の怨念(と考えられていたもの)を鎮めるべく、「天満大自在天神」として、信仰の対象にし、祀りました。

その経緯もあり、菅原道真は、今日でも学問の神として全国の神社等で崇められています。

また、全国各地約1万2,000以上ある天満宮では、毎月25日が「道真公を祀る縁日」です。


【カノッサの屈辱】

1077(承保4)年1月25日、時の教皇グレゴリウス7世に破門された、神聖ローマ帝国の皇帝ハインリヒ4世が、教皇に謝るため、冬のアルプスを越えて来訪するも、受け入れてもらえず、カノッサ城の門前に3日3晩立ち尽くした、通称:カノッサの屈辱がありました。

《カノッサの屈辱の背景とその後》
皇帝ハインリヒ4世は、北イタリアの支配を目指し、ミラノ大司教をはじめとした権力者を、独自裁量で次々と任命していました。

が、当時、近隣諸国を含め国教となっていて、圧倒的な勢力、金力、発言力、影響力を持っていた、キリスト教ローマカトリックの教皇グレゴリウス7世は、皇帝の裁量を快く思わず、司教の任命権は皇帝ではなく教会側にあると主張するも、国のトップ権力者である皇帝ハインリヒ4世は、教皇の意見をことごとく破棄。

こうした皇帝ハインリヒ4世の態度に業を煮やした教皇グレゴリウス7世は、皇帝ハインリヒ4世に破門をほのめかすと、今度は、皇帝ハインリヒ4世が大激怒し、教皇の廃位宣言を断行しました。

これに対して教皇グレゴリウス7世も、皇帝ハインリヒ4世の破門、王位の剥奪、追放を正式に宣言。

皇帝vs.教皇の権力闘争が、はっきりとかたちの一大事件となりました。

この知らせを聞いた諸侯たちは、次々と教皇側に付き、皇帝ハインリヒ4世に叛旗を翻したことで、皇帝ハインリヒ4世は孤立無縁に陥る事態に。

皇帝ハインリヒ4世は、教皇から破門を解いてもらうため、北イタリアに位置するカノッサ城を訪れるも、教皇グレゴリウス7世は全く取り合わず。

雪の中を、裸足に粗末な修道衣で3日3晩断食と祈りを続けた後、ようやく教皇の許しを得ることが出来ました。

一連の流れを受けて、皇帝ハインリヒ4世が行った謝罪は、地名を冠して「カノッサの屈辱」と呼ばれています。

《後日談》
皇帝ハインリヒ4世は教皇の許しを得た後、自分(ハインリヒ4世)に反旗を翻した諸侯を、次々と制圧しています。

また、カノッサの屈辱以後も、教皇側とは何かと折り合いがつかず、対立は一層激化し、その争いは半世紀以上も続いたとされています。

国のトップである皇帝よりも、教皇側の権力が絶大であることを証明する結果となった一連の事件は、中世ヨーロッパにおける権力闘争の流れを読み解く上でも、重要な転機でした。

そして、皇帝ハインリヒ4世が謝罪のため、教皇グレゴリウス7世のもとを訪れた1月25日は、「お詫びの日」として記録されています。

また、「カノッサの屈辱」というフレーズは、誇り高い地位や権力を持つ者が謙虚になる、または、屈辱的な状況に追い込まれることを示す言葉として、広く用いられています。


【美容記念日】

美容業界に多大な功績を残した、日本の美容先駆者・メイ牛山氏の誕生日(1911[明治44]年1月25日)を祝して、1月25日に記念日が設けられています。

日本で最初に、パーマ、マスカラメイクを取り入れ、斬新なヘアスタイルの考案、美容室の経営、後進の育成、化粧品開発、新しい美容技術の普及などなど、日本の美容業界を最前線で牽引し続けました。

また、個性的でチャーミングな表情や、トレードマークのお団子ヘアスタイルは、お茶の間でも人気となり、笑っていいとも、いただきます、徹子の部屋をはじめ、テレビ番組でも活躍し、著作も30冊以上と、その影響力は美容関係に留まらず、多方面に波及しています。


【主婦休みの日】

日頃家事を主に担当している主婦が、リフレッシュをする日として、生活情報紙「リビング新聞」が、2009(平成21)年に記念日を制定しています。

日付は読者アンケートで決定され、1月25日、5月25日、9月25日の年3日間が、主婦休みの日として設けられています。


【朝日新聞が創刊】

1879(明治12)年1月25日、大阪の朝日新聞社が「朝日新聞」を創刊しました。

創刊当初は、新聞小説や通俗記事が主体の大阪ローカル新聞だったものの、政府参議だった伊藤博文氏らが、同じく参議の大隈重信氏を政府から追放した事件「明治14年政変」以降、紙面での政治色を強めていきました。

後に、東京で刊行されていた「めさまし新聞」を買収し、「東京朝日新聞」として、創刊と同時に東京進出を遂げ、日露戦争前には主戦論を展開し、政治色を全面に押し出す全国紙へとスタイルを変えていきました。

今日では、ネット配信、各支局の世界展開、海外通信社との情報共有ほか、全世界に取材網があり、国内で最も権威のある新聞のひとつであり、世界的にも認知度の高い媒体です。


(以上、ネット検索より)

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