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2月2日は、横井庄一氏が帰国&交番設置記念日&バスガールが誕生&戦後初の国際便が就航

【終戦から28年、横井庄一氏が帰国】

太平洋戦争当時、陸軍軍曹として参加していたグアム島の戦いで、一人、ジャングルに潜み続け、そのまま終戦を知らないままでいた横井庄一(しょういち)氏が、終戦から約28年後の1972(昭和47)年2月2日、無事、羽田空港へ帰国。

帰国後、「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」と語った同氏の戦争が、この日、終わりを告げました。


【交番設置記念日】

1881(明治14)年2月2日に、1つの警察署の管内に、7つの交番を設置することが定められたことにちなんで、記念日が設けられています。

町の中に交番を配置して、制服の警察官が活動するという制度は、1874(明治7)年に、東京警視庁が設置した「交番所」が世界初です。

それまでは、街中の交差点等に警察署などから派遣された警察官が、都度都度出向く巡回スタイルがほとんどでした。

また、1888(明治21)年には交番の名称が、派出所、駐在所という名に決定されました。

が、国際的には「koban」の名が一種の単語として、広く浸透していたことから、1994(平成6)年には、改めて「交番」が正式名称と公式アナウンスされています。


【バスガールが誕生】

1920(大正9)年2月2日、当時の東京市街自動車の乗合バスで、日本初となる女性車掌が業務運転を行いました。

前年の1919(大正8)年に、市内バスの営業開始と同時に、運転手も募集していて、教習所を卒業した19~30歳の計37名の女性が、運転手として採用されました。

当時は、女性が職に就くのが、まだ目新しいとされていた時代だったこともあり、女性車掌たちはバスガールと呼ばれ、多くの話題と注目を集めました。

また、初任給35円(現代換算:約15〜18万円)は、当時としては、かなりの高給待遇だったことも話題となり、バス運転手は、なりたい職業として大人気でしたした。

そして、この日は、バスガールの日として記念日のひとつに制定されています。


【戦後初の国際便が就航】

1954(昭和29)年2月2日、日本航空(現:JAL)が、戦後初となる国際航空路便を就航させました。

第二次世界大戦の終戦後、日本の民間航空事業は、GHQによって解体状態となっていました。

が、1951(昭和26)年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約を機に、日本の国際社会への復帰が正式に認められたことから、民間航空事業も再開。

その第一歩として、日本航空株式会社(Japan Air Line)、通称:JALが設立されました。

国際線の1番機は、出発:東京・日本、経由:ホノルル・アメリカ、到着:サンフランシスコ・アメリカを渡航し、日本の民間航空事業も国際舞台へと、再び飛び立ちました。

《余談》
この時の片道運賃は23万4千円だったとされ、現代換算にすると約500万円相当ながら、キャンセル待ちが出るほどの人気だったそうです。

(以上、ネット検索より)

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