4月3日は、石橋の「日本橋」が開通&愛林日&いんげん豆の日&NHKで「みんなのうた」が始まる&ペルー日本友好の日
【石橋の「日本橋」が開通】
1911(明治44)年4月3日、東京都中央区に設置されている日本橋が、木橋から石橋に架け替えられました。
江戸時代に徳川家康の命によって行われた「全国街道整備計画」の一箇所として、慶長8年3月3日(新暦:1603年4月14日)には、木造橋の日本橋が完成していました。
が、以前は、明治維新の余波や多くの火災の影響で、木造だった日本橋は約10回ほど焼失しているため、火事でも耐え得る石橋に建て替えられました。
また、木造での完成当時から現在まで、日本橋は日本の道路交通の中心として、「重要基準地点」であり、現在の日本橋の中央部分には、国道五街道の起点の「日本国道路元標」が設置されています。
《国道五街道》
東海道:国道1号線
日光街道:国道4号線
奥州街道:国道4号線、栃木県宇都宮市より北
中山道:国道17号線
甲州街道:国道20号線
加えて、石橋に改築された後の橋柱銘板の揮毫(きごう)文字は、江戸時代に幕府の第15代将軍を務めた徳川慶喜の直筆 とされています。
《揮毫》
毛筆で言葉や文章を書くこと。
格言や看板の文字について指す場合もあります。
また、1971(昭和46)年からは、例年7月第四日曜に、日本橋の環境美化を目的とした「橋洗い」と呼ばれる清掃活動が、地元町内会や周辺企業などの人々を中心に行われています。
そして、この日は、日本橋開通記念日に制定されています。
【愛林日】
1800代後半に日本へ来日した、アメリカの教育者・ノースロップ博士が説いた「Arbor Day(意訳:愛林日)」の精神を汲み、1898(明治31)年に林学者の本多静六博士によって、神武天皇祭が行われる4月3日を植栽日にすることが提唱されました。
その後、昭和の時代に、4月3日の神武天皇祭を中心とする4月2日〜4月4日までの3日間を「植栽日」とすることが決まり、全国一斉に愛林行事を促すために記念日が制定されています。
1934(昭和9)年には、日本初の中央植樹行事が、茨城県・筑波山麓の鬼が作国有林で実施されたのをはじめとして、現在でも、例年4月3日には全国植樹祭として愛林活動が各地で催されています。
【いんげん豆の日】
いんげん豆を中国から日本に伝えたとされる隠元禅師=隠元隆琦(いんげんりゅうき)の忌日にちなんで、4月3日に記念日が設けられています。
忌日=寛文13年4月3日・新暦:1673年5月19日。
隠元禅師は中国・明の禅僧で、江戸時代前期に来日。
いんげん豆を精進料理の材料として日本に広く普及させています。
また、同師は禅の宗派のひとつに数えられる日本黄檗宗(おうばくしゅう)の祖でもあり、能書家としても活躍した他、茶道の一種「煎茶道(せんちゃどう)の開祖でもあったことから、いづれも日本文化の発展に大きく貢献した人物と目されています。
《煎茶道》
抹茶などの粉末を使用した抹茶道とは異なり、煎茶(≒葉茶)を用いて急須などでお茶を淹れる作法。
《隠元禅師が日本に伝えた代表例》
食材:いんげん豆、西瓜(すいか)、蓮根(れんこん)、孟宗竹(たけのこ)
禅文化:坐禅、禅語
木魚:原型の「魚板」
煎茶道
明朝体
隠元禅師は、時の江戸幕府第4代将軍・徳川家綱(いえつな)に厚くもてなされ、中国にいた時と同じ「萬福寺」を、京都・宇治に創建しています。
【NHKで「みんなのうた」が始まる】
1961(昭和36)年4月3日、NHKでみんなのうたがスタートしました。
放送開始1回目の曲は「おお牧場はみどり」で、以後、「ドレミの歌」「小さい秋見つけた」など、みんなのうたで流れたのをきっかけに、全国的なヒットとなった歌が次々と誕生してきました。
【ペルー日本友好の日】
1899(明治32)年4月3日、佐倉丸に乗船していた日本人移民の790人が、ペルーのアンコン港に上陸したことを祝して、ペルー政府が記念日に制定しています。
ペルーは南アメリカ西部に位置する共和制国家で、漢字では「秘露」と表記されています。
(以上、ネット検索より)