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1月9日、クイズの日/とんちの日&Apple社が初代iPhoneを発表&風邪の日&新両国国技館が落成
【クイズの日/とんちの日】
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とんちが利いたことで知られる一休さんから、いっ(1)きゅう(9)の語呂合わせにちなんで記念日が制定されています。
一休さんは名を一休宗純(いっきゅうそうじゅん)といい、室町時代中期に実在した臨済宗の僧でした。
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また、「屏風の虎退治・このはし渡るべからず」などの逸話が、紙芝居や絵本の題材としてよく取り上げられています。
が、一休宗純に関するとんち話は、江戸時代の創作がほとんどとする説が有力とされていて、実際の一休宗純に関しては、修行を経て悟りを開くも、お寺からの認可証を捨ててしまう、僧でありながら70歳を過ぎて20代の女性と同棲する、などの記録が残っていて、破天荒で自由奔放ながら、聡明な人物であったことには違いないとの認識が歴史家の間では囁かれています。
【Apple社が初代iPhoneを発表】
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Apple製品の展示会として、2007(平成19)年1月9日に開催された「Macworld Expo 2007」にて、初代iPhoneがアメリカで発表されました。
同社から2001(平成13)年10月23日に発売され、世界的に大ヒットとなっていたデジタルオーディオプレーヤー「iPod」の筐体(きょうたい)を活かし、携帯電話、デジタル音楽プレーヤー、インターネット通信、電子メールなどのアプリをタッチパネル方式で操作可能にした携帯電話は、画期的な未来の携帯電話として、登場から多くの注目を集めました。
それまでも、タッチパネルを利用した操作技術は携帯電話に限らず登場していたものの、同時に一箇所のみの操作処理しか行えないものがほとんどでした。
が、iPhoneはマルチタッチと呼ばれる技術の開発に成功し、複数の指を同時に使うことで、バリエーションに富んだ操作性を可能にしました。
それまでの携帯電話とは一線を画す機能性を備えた携帯電話の登場は、誤作動やアプリ等の起動の重さ等もありながら、スマートフォン時代を告げる先駆け的立ち位置を確立し、以後、毎年新型iPhoneが発表されるなど、世界中から人気と注目を集めています。
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《余談》
初代iPhoneに採用された携帯電波方式は、「GSM」と呼ばれる通信方式のみだったため、GSM方式に対応していない日本を含む国や地域では発売が見送られました。
日本にiPhoneが登場したのは、2008(平成20)年発売の「iPhone3G」と呼ばれる世代のものからです。
【風邪の日】
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寛政7年1月9日、大相撲力士で、第4代横綱・谷風梶之助(たにかぜかじのすけ)がインフルエンザで現役のまま亡くなったことへの追悼の意から記念日が設けられています。
新暦:1795年2月19日。
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インフルエンザが流行っていた際に、谷風自身が「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れるのは風邪にかかった時くらいだ」と語っていたことから、その時に流行した流感はタニカゼと呼ばれました。
また、風邪の日に制定されている1月9日の前後は、新種のインフルエンザが猛威を振るう傾向にあることから、予防方法、最新型情報、治療のガイドラインなどを、厚生労働省が随時情報提供してくれています。
【新両国国技館が落成】
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1985(昭和60)年1月9日、東京・墨田区両国で「新国技館」の落成式が行われました。
正式名称:国技館。
初代国技館は、日本初のドーム屋根完備となった西洋風建築物で、大鉄傘(だいてっさん)の愛称で親しまれていました。
が、火災による焼失などもあり、純和風の国技館に改築。
しかし、戦後のGHQの意向で大相撲自体が開催されず、昭和58年には老朽化などからの理由で、国技館自体が解体されました。
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新しく建て替えられた国技館は、収容規模が大幅に拡大されていて、大相撲だけでなく、プロレス、ボクシング、格闘技、内閣記念式典、ゲームイベント、ライブ会場、M-1グランプリ会場と、多岐に渡る各種イベント会場としても利用されています。
(以上、ネット検索より)